プラス日々の出来事も書いています。
初めは自分の気持ちの整理の為と父と近い将来お別れしないといけないと知ってから同じように闘病している方や支えている家族や友人方のお気持ちも知りたい、そしてお手本にしたいと思い書くようになりました。
いつも誤字脱字や分かりにくい表現が多く読んでくださった方には申し訳ないなと思います。
今日はこのテーマで50個目のブログです。
一区切り、ブログを始めて書いた時から振り返ります。
父の余命宣告を受けて身近な人に話しました。
いろいろなリアクションがありました。
多くは父や私たちを気にかけてくれる人が多くとてもたすけられました。
中には、面識もない私と引き合わせて下さって親を看取った人とお話をする機会もありました。
引き合わせてくれた人は職場の人です。
お友達が親と祖父を看取った経験がある歳も変わらない女性でした。
彼女は、恥ずかしいこともしたいこともいいたいことも
本人に伝えて
と言っていました。
経験談を聞いて…内心、私にできるかな?とか
いや、私の父は治るとか
病と闘う気持ちと、受け入れられず否定する気持ちが行ったり来たりでした。
それでも、早めに動いてくらいでちょうど良いよ、ちょっとしたことができなくなるのはあっという間にくると。彼女にもらったアドバイス
このアドバイスを聞いても、父はそうならない。良くなると受け入れられずにいましたが
とにかく行動とゆうことで、まずは妹の結婚式の日取りはどうするか。
考え妹に相談して。
結果、
挙式だけ2月に行い、披露宴は先日10月に行いました。
早めてよかったです。
両方とも父は出席できましたがやはり
2月と10月の8ヶ月の間には大きな違いがありました。
見た目に病人とわからない2月の父の顔と痩せて頬もすっかり痩せてしまった10月の父…
見た目だけじゃないです。
大事なのは父の今まで通りの生活を送りたいとゆう希望に、沿った状態で居られるのかでした。
10月の披露宴まじかは気力や体力がないと式にでることを諦めてしまうのではないかとはらはらした。
ほんとに早く進めてよかった。
彼女の言うことが身に染みて分かりました。
なので、長くなりましたが
ブログを書き始めてからを振り返り
日々の生活に忙殺されてもここに来て振り返って読むとその時の父の様子や私の考えていたことがわかるのでとても良い機会だとおもっています。
これからも、書いていきたいです。
読んだくださる方がいるだけでほんとに心丈夫です。
ありがとうございます。
同じように、父が寂しくないように、今まで通り過ごすために
日々生きていきます。
さて、明日は久しぶりに父の通院に付き添います。
母や妹とは、下痢が止まらないから
往診とかしてもらえないのか相談した方がいいかなと話しています。
末期ガンでまだ、自力で動けるけど、体力が低下してる段階ではどうしたらいいのでしょうか。