(いきなりですが…)
図書館さまにホントにお世話になってる。
先日(旧)ツイッターで「新刊本のサイン会などで、お願いだから著者に直接“図書館で借りて読みました”なんて伝えないでください」という内容の(旧)ツイートを拝見した。
「もちろん図書館であれどこであれ、読んでくださったことはありがたい。
ただ、(わざわざ)そのことを伝えないでほしい」という思いでおられた編集者の方、だったように記憶してるが。
そんな意味では…ホント申し訳ない気持ち。
本来なら書店さまで購入すべき。
そして、楽しませていただいた著書さまや関係者さまに還元すべき!とは思うのだが。
(ここから言い訳↓)
なにせ、わたしは長年つとめた事務員職の契約打ち切りにより無職、
夫は年金いただくまであと〇年指折り数えてまってる再雇用なう。
そんな「手元不如意」を言い訳に、図書館さまの「予約システム」というありがたすぎるシステムを「このためだけでも住民税惜しくない!」ってくらい活用させていただいてる。
当地の新聞日曜版に載る書評などで「読みたい」と思ったら、すぐさま図書館システムで検索して予約を入れるのだが…
書評が新刊だったりすると、発売日ほやほやで当然まだ図書館にも入っておらず、検索しても「そんな本はありません」テキな結果が出てくる。
そこで…考えどき。
わたしですら検索するんだから、とうぜん(市の図書館なので⇒)たくさんの市民のみなさまがいっせいに検索したあと、なければ「リクエスト」してくださってる違いない!
そう思って(覚えてれば⇒)1~2週間たってから再度検索してみると、どなたかのリクエストのおかげか、あるいはもしかしたら書評に載ったような本は図書館さまが自ら購入してくださるのか(どうなってるんだろうね?)ちゃんと検索結果が出て来たりする。
ただし、その場合はほぼほぼすでに「待ち人数〇百人」になってるんだけど。
いや、待ちます待ちます!!
すぐに予約にしちゃうと、まてどくらせど順番がまわってこない新刊本だけで“予約上限6冊“をすぐに超えてしまうので、いったん「カートに入れる」にして忘れたころに(覚えてれば、だけど)ときどき見てみる。
けど…たいていは、いつまでたっても「待ち人数〇百人」が減ってないどころか余計に増えてたりする。
そりゃそうだ~評判や宣伝がもっと行き届けば、増えるよね。
そんな(当時の)新刊本が、マイページのカートに100冊くらいずらりと並んでて、後日タイトル見ても「これなんだっけ?」って記憶になかったりもするが、、、
ご縁があれば、後日(翌年とか)無事に予約を入れて読むことができたり、ご縁がなければ、それっきりカートに塩漬けになってたり。
で、ありがたいのが、新刊本じゃない書評。
これだと予約数が少なくて、比較的すぐに読むことができる。
さて・・・・・
やっと本題。
先日読んだのがコチラです。
昨年かな?出版されたとき、話題になってて、タイトルがガツンときて「えっ?なにからサバイブ??」って思ったきり忘れてた。
そしたら先日、こんな書評が↓
そうだ~読んでみようと思ってたんだった!って思い出し、無事借りられて読むことができた。
いやいや、もう、圧倒されて心底ふるえて怖くなって、想像してた数万倍「壮絶」だった。
(安易に「壮絶」なんて言葉使うけど、この方のためにあった言葉って思ったくらい)
最初の「摂食障害」の凄まじさ、身体ばかりじゃなくて家計をも追い詰めるというリアルさ。
それだけで圧倒されて、やっと出口が見えたとき「よかった~」って安堵したのに、
いやいや、まだそこから「アルコール中毒」が待ってて、そのため身体にも影響が及んでしまっての、肝機能障害や骨折による車いす生活や、ついにはアルコール過剰摂取による認知症まで。
なんという、残酷な。
で……黙ってられなくて(黙ってなくてもいいんだけど)息子(@20代半ば)に「これこれこんな内容で凄まじ過ぎた…」って話したら開口一番「その奥さんを紹介したヤツ、戦犯やろっ!?!」と。
いや、感想がまずソコかよっ?ってあきれると同時に、もうひとりの自分が「ソレなっ」
実のところ、わたしも思ってたよソレ。
交際相手として紹介したというご友人かお知り合いか…が、その後のご夫婦の展開をご存じなんだろうか?
それとも紹介しただけで疎遠になられて、幸か不幸かその後をご存じないんだろうか?なんてこと思ってたw
あとは何より、著者である新聞記者の豊田さん。
そのことを恨んだことはないんだろうか?って。
いやー下世話な感想でスミマセンが。
とにもかくにも、「依存症」なんて簡単に治せるもんじゃないんだなってこと、なんか骨身にしみるくらいの衝撃だった。
なーーーんにも知らなかった。
ご本のさいごでは、アルコールによる認知症の「おかげ」で、笑顔ももどって穏やかな日々ももどってホッとなさってるとのこと。
そのことを決して「よかった」なんて言えないはずなのに、でも「よかったですね」と言いたくなるくらいの、何十年にもわたる荒れ狂う嵐のようなご結婚生活の日々。
やはり、感想=「すごかった」としか言えない。
「摂食障害」のリアルも「アルコール中毒」のリアルも、ホントに知らなかったなぁ。
著者の方も翻弄されてボロボロになっておられたけど、それでも、新聞記者としての眼や使命感や矜持や、職場の理解などなどがあって、奥さまのためにホントによかった。
逆に言えば、そのような、「太い」家族や配偶者がおられる方が、いまの日本じゃ少ないと思う。
そんな場合はどうなってしまうんだろう。
破滅しかないのかもしれない、と思うと…“底なし沼”って言葉が浮かんでくる。
ズシンと後を引くご本だった。
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さて、これまたいきなりだけど…
「見守る」
「寄り添う」
「注視する」
「重くうけとめる」
「真摯にうけとめる」
これらってなんとも空虚な、何も言ってないに等しい言葉たちだな。
とくに「寄り添う」ってやつ。
本来はけしてそうじゃなかった。
でも、近年(ここ数年?)空虚でしらけるばかり。
政治ニュースでも、芸能ニュース(人権問題だけど)でも。