入場料大人300円
分かりやすく編集された映像と資料で、代表的な金銀山について、また採掘から精錬までの工程を学ぶことができます。
明治以降の近代採鉱と相川地区の作業施設についてのざっくりとした概要も説明されているので、金山に行く前の予習にはよい施設でありました。
世界遺産登録記念の恩恵を受け、相川を走る無料バスに乗り、佐渡金山へ。
チケット売り場もすごい行列。
すごい人だ。
江戸時代の手掘り坑道を歩く宗太夫坑。
これは小学校の修学旅行で来たことがある気がする。
金銀を含む黒い帯のある石英脈が見つかったことを祝う『やわらぎ』という祝いの行事。
佐渡金山の岩石はそもそも硬度が高く、その分事故も少なかったらしいのですが、手掘りで掘り進めることは困難だったことでしょう。金銀脈が柔らかく掘りやすいことを願うイベント。
宗太夫坑道を出ると、金山博物館に続きます。
金山で使われていた道具や、金脈を探して選鉱・精錬して小判を鋳造するまでの流れが詳しく説明されている。
佐渡金山で面白いのは、工具。
ノミとハンマーで掘り進めるなか、ノミよりも硬い岩石で先端が削られていくため、写真左下中央にあるようなはさみでノミを挟み短くなるまで使っていたのだそうだ。短くなった鉛筆みたい。
安全性も高く、実に合理的だけど、これはドイツの鉱山では見たことがない。
江戸時代と近代と坑道は二つあり、一つ見終わると一旦外に出ます。
お昼でお腹が空いたけど、金箔ソフトを食べる気になれず、20年ぶりくらいに笹団子を食べた気がします。
その後、道遊坑下の明治以降の近代坑道へ。
竪坑跡。
トロッコ列車
坑道掘りが始まる以前は、露頭に見える金を鉱脈にそって手掘りしていたのだそうだ。そのようにして掘り進められた露頭掘りの結果、山が割れた道遊抗。
すごい執念だ。
奥に続く坑道から鉱石を運び出したトロッコ列車のレール。
ドイツや日本の鉱山をいろいろ見て思うのは、
鉱山というものは、古今東西、地域の一大事業であり、周辺地域に生活集団やこれにまつわる文化をつくりだしてきた。
有限な資源である以上、いつかは採掘も先細るが、そこで培われた技術や文化は地域に継承されていく。
佐渡ももちろん例外ではなく、排水のために使われた桶の製造技術(たらい船)、排水技術(田んぼへ水をひっぱる)、明治以降の外国人技術者のための畜牛産業(ブランド牛)、など、鉱業に端を発して発展した歴史があったわけだ。
大変に腑に落ちました。
金山の帰りには、浮遊選鉱場跡にも立ち寄りました。
巨大なタンクが立ち並んでいたのでしょう。ありし日の姿を残した巨大な選鉱場。
相川郷土資料館
朝鮮半島出身者を発破などのリスクの高い持ち場で強制労働させていたことを記す資料が展示されていました。
戦時中のこのような強制労働は、ドイツ鉱山でも起こっており、それを事実として知らしめることも博物館・資料館の使命であると思う。
日本人として、このような資料を他の博物館でもきちんと展示してほしいと願います。
夕食は、インド料理屋さんで2日ぶりの普通のごはんをいただきました。
佐渡汽船に乗って以来、店がなかったり、タイミングが合わなかったりで、まともにご飯を食べていなかった。
病み上がりの体にはパンチの効きすぎたメニューで、食べきれなかったけどとてもおいしかった。
立ち寄り湯に入って、キャンプ場に戻りました。
夜寝るまでは暑いけど、一旦寝ついてしまえば朝までぐっすりでありました。
次回の覚書までに。
今回お世話になった佐和田の窪田キャンプ場。
テントのレンタルがあり助かりました(要予約)。
道路を跨いで松林のなかにあるので、風が吹いてテントが薙ぎ倒される事もなく、基本静かです(他のキャンパーによる)。
わたしが宿泊したのは8月中旬でしたが、他にも15組ほどキャンパーがいて、家族連れも多いので、女性1人でも安心でした。
徒歩10分圏内にびゅー佐和田(入浴施設)やスーパーもあり、便利。
次回は夫と来たいものです。






















