倍首相本人は | Let's never forget what

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また「毒まんじゅう」には、様々な史話がある。
その一つは、豊臣秀吉の死後、徳川家康と豊臣秀頼の二条城での会見があり、
秀頼を護衛した加藤清正が急死するという事件。
これは、家康が秀頼にまんじゅうをすすめ、毒殺を察知し、加藤清正が代わりに食べ、
急死することになったとされるもの。

清正の死は、実際には会見の日から時間が経っているので、
その毒は「遅効性」?とも言われる。
歌舞伎「伽羅先代萩」のストーリーは、これをベースにしている。
その加藤清正の死後2年ほどの間に浅野幸長、池田輝政など
秀頼側の重鎮が次々と急死している。
こう連続すると、やっぱり、これらも毒殺か?と疑われる。

この時の解散をそのように呼ぶようになった。
様々な命名があるが、印象に残るような名称で言えば、
第一次鳩山首相時の「天の声解散」、中曽根首相の「死んだふり解散」、
森首相時の「ミレニアム解散」などがある。
今回の解散、「アベノミクス解散」という風に表現しているが、
「さて、如何に」というところだ。

解散と言えば、アイドルユニットも解散時に印象に残るフレーズを残す場合がある。
なかでも印象に残っているのは、1977年の夏、
3人の女性ユニットの”キャンディーズ”が、コンサートで突如、解散を宣言し、
その中で「普通の女の子に戻りたい!」と語った言葉。
未だに語り継がれ、それは、まさに共感を呼んだとも言える一言でもある。
ただ、その後、この3人はそれぞれ「普通の女の子」には戻らずに、
芸能活動をすることとなった。