アニメはどのお店でもレンタルが安い。

何故なんだろう?

私は、邦画も洋画もアニメも特に偏見なく好きだ。

アニメは、長いものは本当に長く続いていて、下手すると100本以上今も続いているものもあるから

いざはまった時には、お安いのはありがたい。

しかし、何故なんだろう?

正解を知らない私なりに考えてみた。


それは、個々に支払われるギャラの差なんじゃないだろうか。

以前、ドラマの脇役とアニメの主役のギャラが同じ、もしくはアニメ主役の方が少ないと聞いた事がある。

その理由は、ドラマは撮影中他の仕事がしにくくなるが、アニメは同時に2本の主役をしたりと

同時進行がしやすいからという理由らしい。

拘束期間が長いだけ、ギャラが高いらしい。

ふむふむ。

ギャラが高いという事は、利益は出来るだけ大きくなくてはいけない。

でも、レンタル数はあまり製作側にとって利益にならないと聞いた・・・


どこがきっかけで、実写とアニメの差が生まれているのだろう?

考え方によっては、アニメへの入り口が広くて良い。

でも、アニメを低く評価されている様な気もする。

難しいところだ。


古い名作が500円のDVDとして売られる事に関しても

「低く見られている」と捕らえる事も出来るし

「たくさんの人に良い物を知ってもらえる」と捕らえる事も出来る。

難しいところだ。


さて、今回見たのは『パーフェクト・ブルー』

ちょっとグロテスクな表現を含みつつ

でも、人間の一生の疑問「本当の自分」について考えさせられる。

誰が狂っていたのか、誰がきっかけだったのか。

例えば、この人のせいという事がわかっても、その人をそうしたきっかけは何だったのか。

何度か見て、やっと自分の考えが見えてきた。


前回の『運命じゃない人』といい

最近直感で見る作品は、内容が実に凝っていて、

一観客ではなく、一探偵のような気分になる。

作品が謎解きの提案だとしたら

観客だった自分は、いつの間にか参加者になっている。

それが無意識であるが故に感じる事は多い。

これを考える人達って、凄い。

これを表現できる人達って、凄い。


ジェネオン エンタテインメント
PERFECT BLUE

貴方、誰なの?

私は、基本的に1つの映画を通してみるのと、気に入ったシーンを見るのとが

比率で言うと1:10くらい。いや、1:20くらい。

しかし、この作品は、通してみる事に意味があると思う。

通してみる事によって、時間が行き来する。

通してみるからこそ、分かりにくいが

通してみるからこそ、面白い。


私は、早稲田松竹で始めてみたので、劇場で見てすぐにDVDを手に入れる事ができた。

何時も、気に入った映画は直に何度か見たくなるが、何度も劇場で見る余裕はないし、DVD発売までは時間がある。

やっと発売になった頃には、他の映画に心惹かれている事が多い。

なので、劇場→DVDの期間が短い事は珍しく、そして嬉しいようなもう少し心の中で、思い返したかった様な。。。


ここまで来ると、もう運命ではない事が運命なんじゃないかと、そう思う。

続編が見たいような、見たくないような。

見たくない、というのは期待していないという意味ではなくて。

この手の映画は、余韻を楽しむ

続きを受け取る側が想像する事も面白さの1つだと思う。

故に、例えストーリーがオリジナルだったとしても、原作のある映画だと1つの答えが出てしまうから、その想像が楽しみにくい。


もし、続編が出たら見てしまうのだろう。

だから、今のうちに思いっきり想像して楽しもうと思う。


エイベックス・マーケティング・コミュニケーションズ
運命じゃない人

探偵が、お好みだ。



ちなみに、同時上映だった『寝ずの番』は・・・

コメディとしてみれる人にはオススメ。

下ネタが苦手な私としては、感動部分とのテンションの差が激しくなってしまい、疲れた。

しかし、私も自分が死んだら人に笑って送ってもらいたい。

お葬式=笑ったり騒いだりしてはいけない

そんな暗黙のルールがあったんだけど、それにちょっと疑問を持たせてくれた。


ポニーキャニオン
寝ずの番

ありがとう。安らかに。

堺さん出てきてびっくりしたよ。



私は、明治村が大好きだ。

昭和すら知らない私だけど、どこかで「懐かしいとは、こういった感覚を言うのかもしれない」

そう、感じさせてくれる。


祖父も祖母も、皆昭和生まれ。

明治時代のご先祖様の名前は1人も知らない。


だから、明治って私にとっては未知だけど

小学校の校外学習以来、明治村の雰囲気は心の支えでもあった。

主に教会に興味を持って

あれからご無沙汰だったけど、1人で元旦に出向いた今も

同じように教会に、そしてキリストに興味を持った。


無宗教、と言われる日本

縋るも、戦うも自分次第

実にありがたい。


宗教にのめり込むつもりはない。

でも、キリストについて知りたいと思ったし

単純に、建築物見学という意味で教会めぐりがしたくなった。

近所に気軽に行ける教会もないし

宗教は、好奇心はあっても信仰心を持つつもりはない私を

受け入れてくれる場所を探すことは難しい。

まがい物で・・・

そう言われるかもしれないけれど、私はここの教会が好き。



明治村を出て、ふと教科書に載っていた昭和を思い浮かべる。

外見的美しさという面では、昭和は明治に劣っている気がしてならない。

もちろん、明治は西洋の文化の影響が強く

美しさも無理やり、真似ごとではあったかもしれないけど、

『追いつこう、追い抜こう』の精神で頑張っていた明治と

『倒そう、勝とう』の精神で戦っていた昭和

その違いが、外観に現れているのだろう。



人のマネばかりする人は苦手だし

時と場合によって、それは私としては必要ないと思うから

だって、本当にそうできる人が居るのに

無理にそれを作った人を選ぶ必要がないから

だから、『お手本にする事とマネをする事は違う』そう思って生きている。

でも、マネするというのも、1つの心の余裕であったり

結果として美しくまとまる場合もあるんだなと感じた。



昭和を語るには、私は無知すぎるし

明治は、私は良いところを中心に考えるから

この意見は、昭和を生き抜いてきた人からすれば、失礼なのかもしれない。

ただ、「昭和と明治1週間行くなら?」そう聞かれたら迷わず明治を選ぶ。


どっちにしろ、1週間が限界

1週間でも、無理かもしれない。

平成生まれ、平成育ちの私にとって、知りたい情報が簡単に手に入るのが基本

きっと気になる事が調べられない、調べにくいもどかしさに

平静を保てない。

夢の為に修行中の身としては、向上心の表れと認めてあげるけど

人としての余裕があるかと聞かれれば

うつむいてしまう。


恵まれている事が、幸せとは限らない。

確かに、今外国にあこがれる事はある

明治時代の彼らの感じた憧れとは、比べ物にならないのだろう。

味わってみたかった。


ケータイは小学生の頃から持っていた。

『えぇ!?これで話せるの?』と驚いた記憶がない。


今の子供の表情が乏しいと言うが

この驚きの少なさも1つの要因なのかもしれない。


明治村は、学習ではない

勉強の場として、これからも大切にしていたい。



         明治村 教会