🧵この記事はきっかけ(1)からの連続シリーズです

 

 

サイはどこからも内定が出ないまま卒業を迎えたので、私は学生ビザも切れてじきに台湾へ帰るのだろうと思っていました。私はサイが先に台湾に帰って働き始めて落ち着いた頃に、自分も日本での生活に区切りをつけて台湾に帰ろうと漠然と考えていました。というのも、サイのお父さんとお母さんから、結婚して二人で台湾に帰ってきたら、ある程度貯金ができるまでは実家に住みなさい、二人で暮らせる算段がついたら出て行けばいいからと何年も前から言われていたからです。

 

 

それが5月になっても6月になってもサイは帰国する様子が全くありませんでした(汗) 

 

 

「サイ、ビザまだ大丈夫なん?まだイケるん?」

と聞くと、就職活動を継続するためであれば、卒業してから半年ビザを延長できると言うのです。

 

 

卒業の前年の秋冬や、卒業を目前に控えた1, 2月は、私に履歴書を見てほしいと言って何度か相談してくれた事がありましたが、卒業シーズン後は募集自体少なくなっていたからか、卒業してからは一度も私にそれらしい相談はしてきませんでした。ビザを延長したところで無駄な時間を過ごしているようにしか思えませんでしたが、どうして台湾に帰らないのか理由を聞いてみました。

 

 

サイにはお姉さんが一人いました。お姉さんは台湾の中堅大学を卒業後、ニューヨークに留学に行き、ニューヨークで一年バイトをしていたそうです。サイのお父さんもお母さんも、この事をもって「お姉ちゃんは超!優!秀!」と常にお姉さんを褒め称えていました(笑) 私もそれは何年も前から繰り返し聞かされていたので知っていました。

 

 

しかもお姉ちゃんをさんざん褒め称えた後に、「サイもお姉ちゃんのようになりなさいよ」と、必ずサイに言うのです。ご両親はこれを励ましだと思っていたようでしたが、私は心の中でいつも

やめろや

と思っていました(笑)

 

 

サイは決して人を妬んだり恨んだりする人ではありませんでした。ご両親が「お姉ちゃんは超!優!秀!」と言っているのを真剣に受け止め、これを言われる度に、お姉ちゃんは本当に優秀なのに、片や自分はダメなヤツだと本気で思っているようでした。

 

 

私は毎回これを聞かされる度に、サイが落ち込んでいるのを見て心が痛み、怒りで震えました。(←落ち着こ?)



お姉さんが出ている台湾の大学も、はっきり言って中の中という感じで、威張る程の学歴ではありません。(口が悪くてすみません。)「ニューヨークに留学」というのも、「ニューヨークでバイト」というのも、どこの大学?大学院?なのか、短期留学だったのか、語学留学だったのか、学位まで取得したのか、どこのバイト先で具体的に何をしていたのか聞いてみた事があるのですが、あまりはっきりとは教えてくれませんでした。(しつこく掘り下げて聞いたら、バイトをしていた場所は正確にはニューヨークではない事と、手作りのネックレスを販売していた事だけは分かりました。)しかもお姉さんは英語がお世辞にも上手とは言えませんでした。どちらかと言うと、留学経験のないお姉さんの旦那さんの方がしっかりとした英語を話していました。私は哲学的な事や、政治的な事は、お兄さんとは英語で議論していましたが、お姉さんは日常会話も怪しいレベルの英語力でした。私の台湾人の大親友で、ニューヨーク大学(NYU)で修士号を取ったDarrenという友達がいるのですが、Darrenの英語力とコミュ力は凄まじく、誰しもDarrenと一瞬でも絡んだならば、彼を仕事上絶対敵に回したくないと思わせるほど圧倒的なオーラと実力を持っていました。お姉さんには、Darrenのようにニューヨークで根を張って戦ってきたんだろうなと思わせるところがありませんでした。



ネイサン・チェンくらいの経歴の人がゴリゴリの上から目線でくるならまだわかるのですが、この程度のバックグラウンドでサイにマウント取られてサイを傷付けられても、傷付けられ損以外の何物でもないと思っていました。(口が悪くてすみません。五黄の寅女の、大事な人を傷付けられた時の守りは尋常ではありません。)

 

 

 

この程度で自己満足してるから伸びねーのよ

  


ほんでこの程度じゃ人見下せるほどすごかねーのよ



つかニューヨーク留学の金出したパパが一番すげーのよ(←そこ😂!)

 

 

と、私は内心いつも腹が立っていました。

 

 

私は家族の集まりやお家のリビングでこの話題が出る度に、いつもサイの手を握って「こんなくだらん話鵜呑みにしんくていい。私は英語も日本語も両方わかるからはっきり言わせてもらうけど、お姉さんの英語よりサイの日本語の方が断然上手い。ニューヨークでバイトしてたから偉いって?じゃあうちは台北のお茶屋でバイトしてたけど、うちも偉いのか?時給100元でしたが何か?マジで話の内容と優秀さをはかる基準がくそ」と、この恒例のくそトーークが始まると、トーークをかき消すように日本語でギャンギャンに被せまくっていました。実家のリビングにはやはりやっさんがちょいちょい降臨していました(笑)



私がやっさんと化して、「こんなアホな話真面目に受け取るな!サイの方がよほど人格も立派で優秀や!」と日本語でキレ倒していると、サイはいつも私の手を握り返して「ほんと?」と不安そうに聞いてきました。「ほんとや!私が言うんやで間違いないやろ!」と、私は何度も力を込めてサイの手を握っていました。(私は最初ご両親に直接物申していましたが、サイが波風を立てないでほしい、両親に歯向かわないでほしいと言うので、私はひな壇のフジモンくらい日本語でガヤる作戦に出ていました。)


 

聞くと今回も、ご両親からお姉ちゃんのようにどこでもいいから日本で一年働いてきなさいと言われたので、日本で働かないまま帰国できないと言うのです。



このくそトーークまだやっとんたんかい!


ほんでニューヨークのむさくそ郊外で手作りのアクセサリー売っとったのいつまでしがんどんねん!


 

つづく
 

 

〈私はニューヨークには行った事はないのですが、年収最低800万ないと住めないと言いますよね。ニューヨークの事務所と取引してますけど、正直価格とサービス内容が釣り合ってなくて使いづらいですし。私はノースカロライナの事務所がいちばん好きです。←誰も聞いとらん😂 娘のニューヨーク留学のお金全額出したパパはすごいと思うのだけれど、親の出した金に乗っかることなんて誰にでもできますからねぇ…学位取るより学費の工面の方が断然大変でしたよ、私にはね。写真はボストン出張の際に撮ったもの〉