🧵この記事はきっかけ(1)からの連続シリーズです

 

 

今の自分は、長きに渡る国内外でのビジネスの経験を通して、人と自分を比較する事には何の意味もない事を実績と根拠をもって理解していますが、25, 26歳の自分にはそんな事はわかっていません。私も人と自分を比べていたので、自分に自信は全くありませんでした。

 

 

私は大学卒業後そのまま大学院に進んだため、大学院入学時は職歴のないクラス最年少の22歳で、他のクラスメイトは全員一度社会に出てから大学院に通い始めた人たちでした。外国籍のクラスメイトは、国から派遣されてきている外務省の外交官、ジャーナリスト、研究者、軍人、会社経営者などで、台湾籍のクラスメイトは大手企業の会社員、教員、軍事関係者など、みんな華やかな経歴を持っていました。新学期が始まると、たいてい最初は自己紹介から始まるのですが、みんな自己紹介をすると、「おぉーーー!!!」という歓声に似た声があがり、「外務省から派遣されてきているって、もしかして領事館にあたる●●の機関で働いてるの?」「ジャーナリストって、どこの通信社?」など、自己紹介に対してざわめきや質問が出たりするのですが、私の場合は「シーン。。。」というより、「ツーン。。。」という空気が流れる程、自己紹介でスベり倒していました。私は、ピラミッドの底辺というか、クラスの末っ子状態でした。

 

 

今の事務所に入った時も、最初はバックオフィスの事務ですから、経営者と法律家など、国家資格保有者を頂点としたピラミッドの底辺にいると感じていました。お局さんからよく古いエアコンから水滴が落ちてくるからなんとかしろと言われて、デスクの島がいくつか離れたお局さんのデスクに行って、脚立にのぼってエアコンの手当てをしていたのを覚えています。

 

 

私も人と自分を比較して、「世の中にはすごい人がいるもんだな~」と漠然と、そして盲目的に思っていたため、自分なんて底辺のぺーぺーだと思って、自分に自信なんて全くありませんでした。でも、その自信のなさは、自分を卑下するタイプの自信のなさとは違っていました。

 

 

私はいつだって、今この瞬間の自分が、自分のこれまでの人生史上最高の自分だと思っていました。これは昔から変わらず今もそう思っています。

 

 

体力や能力の衰えはあるとは思いますが、経験値と知識量だけで言えば、1ヶ月前の自分より今の自分、昨日の自分より今日の自分、1秒前の自分より今この瞬間の自分が絶対にベストです。今持てる最高の経験値と知識量を持った自分が取った行動、下した決断は、いつだって今の自分にできる最高の選択だと思います。後になって「あの時ああしていれば…」と過去を悔やむのは、その時より更に進化した自分だからそう思えるだけで、過去の時点の自分にはその選択が精一杯だったのです。その時にはそれ以上の器は持ち合わせていませんから、持っている器以上の成果物をひねり出す事なんてできません。だから私は、過去に反省点は山ほどあっても、後悔している事は一つもありません。

 

 

私は人と比較して自分に自信がなくても、「まぁ、今の自分にはこれが精一杯やしな♪」と思って、恥ずかしげもなく何にでも体当たりで挑んでいました。周りが経歴のすごさをアピールすればするほど、「私は期待されてなくて楽~~~♪」とも思い、逆にいろいろな事をのびのびやっていたと思います。

 

 

大学院時代も、私は自分の事を心底しょーもないヤツだと思っていましたが、結局毎学期成績優秀者上位3名に与えられる奨学金は、漏れなく全てもらっていました(笑)

 

 

私も人と比較して自信をなくす気持ちはわかりますが、でもそれは自己卑下には繋がっていませんでした。

 

 

シャオチンとサイにその事を話しましたが、あまり響いている様子はなく、むしろ松本明子的なヤツが何かを熱弁しているくらいに思われていたようで、私は倉敷でもかなりスベっていました。

 

 

つづく

 

 

〈何年か前に母校の政大を訪れた時の写真〉