「ゼニスは願望実現のツールでも医療行為でもありません」の記事に書いたように、ゼニスはその仕組みからして明らかなように、本来の自分を取り戻すためのツールであって、願望実現のツールではありません。
 
 
しかしながら、「こんな願望を叶えてみたい」と願うことは悪いことではないと私自身は考えています。例えば、「こんなことに挑戦してこんな成功を収めてみたい」と神社仏閣に行き、願掛けをする。神仏にもよると思いますが、基本的には願掛けの内容が、エゴの自分ではなく本当の自分としての願いであって、その人が生まれる前に自ら計画したことに反しないことであり(生まれる前に自ら立てた計画は、すなわちこれを体験したくて、これを体験するために本人が今世生まれてきた「目的」ですからね)、本人の成長のために必要なものでしたら、神仏の後押しをいただけるように思います。例え神仏からの後押しが得られなかったとしても、「挑戦したいこと」に挑戦してみて、その中で気付くことや学ぶこともたくさんあります。
 
 
私の基本的考えというか、私の中核、私の変わらない軸として、私は全ての物事について「バランスを取ること」を常に自分の腹に据えています。
 
 
これはスピリチュアルな自分であっても、ビジネスパーソンとしての自分であっても変わりません。
 
 
私はプロフィールに書いているように、法律関連の職務に従事して10年以上になります。大学院を卒業してから今まで、ずっと同じ仕事をしています。職場では外国案件を専門に扱う部署でマネージャーをしており、実務はもとより、マネージャーとしての管理業務、人材採用、人材育成、海外営業、外国関連の経理など、とにかく幅広い業務を全て同時並行でこなしています。
 
 
マネージャーとしては、もちろんこのご時世ですから、職場における実体的な感染症対応もしなければなりませんが、私は感染症対策の基本的なガイドラインは示しつつ、都度状況を見ながら基本的には個々の事情に応じて個別対応をしています。
 
 
最近は濃厚接触者に認定され、突然出社できなくなるケースが増えてきました。コロナに感染することは絶対に「悪」などではありませんから、あくまで「このような場合の、現在の状況を考慮した職場における感染症対応としては」ですが、感染していない側は適切な警戒をすべきであり、 感染の可能性がある側は適切な配慮をすべきであって、この両者のバランスを取るだけのシンプルな話だと思っています。感染していない側が必要以上にコロナを恐れたり、その恐れから差別意識や偏見を持つことはバランスを欠いていますので、そのような場合は恐れの感情を癒してあげ、「恐れからくる行き過ぎた行動」ではなく、「適切な警戒(自己防衛)」ができるようにマネージャーとしてサポートします。 一方、感染の可能性がある側が周囲への配慮に大きく欠けている場合は、適切なレベルの配慮ができるようにサポートします。 度が過ぎている場合、単に行き過ぎた部分を切って捨てることも時には有効かもしれませんが、私の基本的な考えとしては、過剰なものは切って捨てるのではなく、なるべく癒して消化させる、そして足りないものは補うようにしています。
 
 
私はコロナに関わらず全ての物事についてバランスを取ることを重視しているため、職場における人材教育、つまりサポートもバランスの世界として捉えています。行き過ぎたお節介は自重し、本人の力を信じて任せるべき時は任せ、しかし本人がまだ独り立ちできる状態になければサポートの度合いを強めたり、独り立ちを促すために敢えて強く突き放したりして、バランスを取るようにしています。


ただし、個別対応をする際には「この部分が欠けている、または度が過ぎているように思うので、このような対応をしようと思うけれど、どうだろう?」と、過剰な部分、足りない部分について説明し、その部分に対応するためにこのようにしていきませんか?と提案するようにしています。そうでないと、単に差別されているのか、本当に本人のことを思って検討し尽くされた結果なのかがわからなくなってしまい、こちらがいくら柔軟な対応をしようとしても相手が受け入れられなくなってしまっては元も子もありません。(この「サポート」の部分は特に、ゼニスのプラクティショナーとしての自分にも通じていると思います。)
 
 
さて、話は戻って、例えば自分の願いを神仏に叶えてもらうことや、願望実現や、自分の思い通りの現実を引き寄せるスピリチュアルセッションに参加することは、自分が自分の幸せだと思っていることを外側に委ねています。こうなると、願いが叶わなかった時に、叶わなかった怒りや絶望、時には叶うまで何度も繰り返してしまう依存、逆に叶った場合にも「もっと!もっと!」と依存してしまうなど、ネガティブな方に傾きやすい側面も孕んでいます。外側がどうなるかによって、自分が振り回されたり左右される可能性があります。
 
 
ゼニスは一つ前の記事に書いたように、自分で自分の内側に目を向け、本来の自分を取り戻すためのツールです。クリアリングが進んでくると、本来の自分として考え、判断し、行動できるようになりますから、「誰かや何かに自分を満たしてもらおうとすること」から脱却し、「自分で自分を満たすこと」「自分で自分を幸せにすること」ができるようになってくると思います。外側に影響されにくくなります。
 
 
これもバランスですので、どちらがいい悪いではありません。自分に目を向けすぎて、周りに一切頼らないとか、周りの意見に一切耳を傾けないのも偏りすぎていますし、自分のことをいつも他人や外側に委ねてしまうのも偏りすぎています。やはりバランスです。この「内ー外」「依存ー自立」のバランスを自分で取れるようにするために、一つのツールとしてゼニスを持っておくのは悪くないと思っています。
 
 
実は私は神社仏閣が好きなんです。自分のヒーリングサロンに「月あかりのいと」と名前を付けているのはいくつか理由があるのですが、一つは台湾の月下老人からこの名前を付けています。私は台湾に住んでいた頃、行天宮と霞海城隍廟の中間くらいの場所に住んでいた時期がありました。晴れた日には散策がてら徒歩でよく行天宮に行っていました。霞海城隍廟にも行きました。月下老人に素敵なご縁をいただいたこともあります。私の台湾の大親友にも素敵なご縁がもたらされていて、それは今でもとても感謝しています。ここ2年はコロナで台湾に行けていませんが、その前は年に2回は台湾に行っていました。台湾に行く時は、昔住んでいたエリアを散歩して、迪化街や、住んでいた時にお世話になった廟にはご挨拶に行っていますよ。これもまたいつか書いていきますね。
 
 
何が言いたいかと言いますと、私は極端な考え方は好みませんし、何かを徹底的に排除することもしません。いろいろな考え方や物事に対するアプローチ方法を学んで、実際に試して、それぞれのいいところを取り入れながら徐々に自分でバランスが取れるようになっていくのがいいと思っています。リスクや本質を知った上で選択すればいいのです。そして高次の存在や神仏はコントロールしません。私も人に何かを押し付けることはしないように常に心がけています。
 
 
〈台北迪化街〉

 

 

 

 

〈迪化街に行った時によく立ち寄るカフェ〉