+act(ネタばれするほど書いてないと思うなり) | ゆうちゃんママのひとりごと

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なんとびっくりなことに、「+act 11月号」が届いた。

「ぽちっとな」してたんだね、私。
すっかり忘れてた。

というより、11月号が9月27日発行って何?
雑誌の世界って分かんないわぁ。

そんなわけで、めんずらしく早々にゲットしてしまったわけですな。

私、写真って多分そんなになくてもいい人みたい。
だって、「これ、何見てるんだろなぁ。」とか、「何考えてるんだろうなぁ。」って思っても、アップじゃ分かんないもん。
どうせ撮るなら背景全部映り込んで、超ヒキで撮ってほしい。なんてのありえないっしょ。

多分、動いてる大野君が好きなんだと思う。
「お、この表情好き。」ってのはあるけど、写真をず~っと眺めてたいとは思わないし。

でも、「+act」は活字が多くて好きだ。
大野君本人はあんまり雄弁じゃないし、それこそ「何もやってないように見せるのがうまい人」だから、インタビューしている人の掘り下げ方がうまくないとなかなか語ってくれないんだよね。今回はちらちらと色んなことが出てきてて、読み応えがあったし、インタビュアーの人の感想や共演している人から見た大野君像とかが聞けるのがとても良い。

今回は、奈良さんと怪物くんの監督の中村監督がインタビューを受けているのだけど、それが面白かったな。

奈良さんは言葉の表現もうまいんだなぁって思ったかな。
奈良さんが語る大野君と彼のアートに関する部分には「なるほど~、うんうん分かる分かる!」ってすごく頷けた。

「最初から見せるために作っている」人と「作りたいから作っている」人

”趣味でやっている”と”趣味じゃないもの”

なるほどな~、言い当ててるな~って思った。
他の誰の表現よりも、同じスピリットを持った奈良さんの表現は一番しっくり来るような気がする。しかも、大野君よりも言語表現に長けている(笑)

私は絵を描くのは趣味じゃないし、作りたいから作っているわけでも見せるために作っているわけでもなくて、どちらかと言うと、「誰かのため」「誰かに何かを伝えるため」の手段の一つでしかないんだと思う。言葉で表現しきれない部分を補うものなのかな。そりゃあ、作ってるとき、描いてる時は楽しいけど、でも普段モーレツに描きたいなんて衝動は全く起こらない。

だから、「作りたいから作る」「描きたいから描く」っていう自分にないものを持っている人にすごく惹かれるんだろうな。

ずっと見てたいって思うんだと思う。

うらやましいけど、別に自分がそうなりたいとは思わないんだな。

見てたい。

で、作品も作品自体を楽しむだけじゃなく、そこにまつわるストーリーとか、それを描いてた時の気持ちとか交えて見たい。要するに作品そのものよりも、「人間」が好きなんだろうな、私は。

だから、大野君の作品を作品集で初めて見ることが出来たのは、私にとっては良かったのかもしれない。フィギュアたちも、展示場で見るのではなく、自然の中だったり、都会の雑踏の中だったり、そういう中に置かれて、命を吹き込まれた形で見ることが出来たからこそ、良かったんだと思う。

もしも、今度作品を発表する機会があるのなら、何となく早い時期に実現しそうな気がするけど
またそうやって見せて欲しいな。


そして、中村監督の言葉も良かったなぁ。
色んなこと言ってるけど、まとめちゃうと。

「大野智という役者はちゃんとしている。努力し続ける天才だ。」

よく、「大野君ってぼーっとやる気ないイメージしかないけど、どこがいいの?」って聞かれるよね~。うん、聞かれる聞かれる。最近は大野君の実力も世に周知されちゃってる気がするけど、それでもまだこうやって聞かれることってたくさんあるよね

こういう時どう答えて良いのか実のところよく分からない。
「踊り」とか「歌」とか言ってもなんだかなぁって感じだし、「性格」とか言っても、「どこがどう?」って聞かれたら、う~んって感じ。

言葉が足りなくて、何を言ってもなんかしっくりこないのね。
大野君の表面に現れる部分だけを言っても、なんか薄っぺらい気がするのかな。

でも、この言葉いいなぁ。

「大野君はね、ちゃんとしてるから好き。努力し続ける天才だから。」

これいいわ。
これからこう言おう。

これを先に言っておけば、後はどう答えても全部しっくりくるんじゃないのかな。


満足じゃ。