こんにちは☻


以前のSNSの投稿で
依存について扱ってください
というコメントをいただきました。


毎日の1分半の動画では
語り切れないと思い、
こちらに書こうかと思いました。


まず依存が
どちらの意味だったのかが
わからないので
両方のパターンでお話しします。

①自分が依存する側

②自分が依存される側

どちらも度が過ぎれば
人生台無し。

誰かとの
依存関係と戦っている間に
寿命がつきます。


この説明に入る前に
論外のパターンも先に
お話ししておきます。


自分の退屈や寂しさを
紛らわすために
意図的に相手を巻き込んで
依存関係に
わざと持っていっている場合。


これは悩みになる以前のお話しです。


ごっこ遊びがやめられない
子供のようなもので
大人の悩みに昇格できない
レベルで止まっています。


ダメな自分を一緒に共有したい
自分を必要としてくれるのが
生きている実感が湧く
というのも同じで
依存をオモチャにしている状態
になります。


幼稚なまま様々なことに表面上は
翻弄される形にはなりますが、
心の奥底では
「これぞ人生」
「私の女としての人生は…」
「あいつは俺がいないと…」
などある種のドーパミンが
出ている状態なので
悩んでいる役を楽しんでいる
アクターということになります。


これらと依存の悩みと
一緒にしてはいけません。


まず自分がどちらなのかを
見極めてくださいね。



さて、本当に依存してしまって
悩んでいるので何とかしたい
というお話しの方にうつります。



①自分が依存する側の場合


人に依存する事と
アルコールなどに依存することは
実は同じです。

アルコールで考えてみると
アルコール依存性になる人の
始まりは
毎日辛いから気晴らしに飲む
眠れないから飲む
忘れられない思い出から
逃げるために飲む

など現実逃避するための
道具のような役割を
アルコールに課した場合に
進行し始めます。


私は子供の頃から
母がリアルに
アルコール依存性でしたので
見ていましたが

自分の負の部分と向き合うのを
回避するために
お酒を使うという感覚です。


お酒にしてみれば失礼な話。
どの分野であっても
失礼な振る舞いをすれば制裁がきます。


自分に都合よく扱えば
アルコールは怒って牙を剥きます。
病気を作り出します。
そして死ぬまで
トラブルを起こしながらも
やめられずに飲む人生が待っている。


人間関係でも同じなんです。


人に依存するとは本当に
相手に失礼なことをしているんです。



不満がある自分を
紛らわすために
他人の時間を
自分に使って楽しませろ。
私の道具になれ。
と言っているのと同じ。
これは逆の立場であれば
怒って然るべき案件です。


なので人に依存すると
ろくなことがありません。


どんどん関係が悪くなるのは
もちろん、
浮気だ、死別だなどと
試練の連続になり
「それ、やめろ!」と
自分の運命が事件を次々に起こします。



制裁を受けているのだから
当然です。



人の人生の時間を奪い、
巻き込めば大きな罰が
きちんとくだる。


自分の子供に
依存している場合もそうです。


子供に反旗を翻されたら
それは自分が依存していたのだと
気がつく時です。


共依存になって
共に落ちていく場合も
もしあなたが親の立場であれば
依存関係を
精算してあげなければいけないのは
あなたの方です。


ではどうするのか。


それは実は簡単です。
初動を考える」のです。


対人関係の場合は
何故それをするのか?を考えます。


相手が幸せになって欲しいから。
ただそれだけという感情から
発信したものは依存になりません。


相手がとにかく
幸せに笑っていることが
こちらの願望なので

「笑っている顔が見たい」
という能動的な感情発信なのです。


なので、
何かをやってあげたとしても
相手の幸せに
繋がってないのであれば
それは意味がないと
自分で気が付きます。


間違っても
お礼を言われたいから
などという初動ではない
ということです。


私を笑顔にして欲しいから
やっているというのは
受動的な感情発信です。


親子でなくても
パートナーでも同じです。

自分が幸せな顔を
勝手に見たいだけ。
ただそれだけ。という純粋な
能動的な初動で
常に接していれば
どこまでいっても
依存にはなりません。


裏を返せば
そういう感情が湧かない人とは
無理に付き合う必要性は
全くないとも言えます。


相手からの感謝が欲しいから
モテたいから、
優越感に浸りたいから
という
自分が笑顔になるための
初動で関係を結ぶと
その結果を得るまでどんどん
相手を追い詰める形になります。



相手が気がついて逃げ始めれば
深追いする。



恐怖のあまり相手は
家出、浮気、反抗などで
危険信号を出してきますが
「私は傷ついた」
「私の何が悪いの!尽くしたのに」
とか涙を流していたりする。



まず初動が相手の幸せの笑顔
ただ一点に絞って
人間関係を選んでください

こちらが欲しいだけの関係は
ろくなことにならないから
最初から構築しない

すでに結んだ関係であれば
魂を切り離す
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とにかく自分の人生に
相手の時間を費やしてはいけません。



相手が望んだ時のみ、
そしてあなた自身が
本当にそうしたかったのなら
決行です。


相手も一緒に飲みたい
自分も一緒に飲みたい
笑顔になる時間を
美味しいお酒とお料理で
最高の気分になって
それを分かち合う
これはアルコール依存性にはなりません。


人間関係も同じです。




②次に依存される側の話をします。


依存されて困るという方は
早い話、優しいのではなく
思慮浅いが正確です。


もしくは懐かれて
好かれているのが 
気持ちが良いので切れないか。


本当に優しければ
相手のためにばっさり切ります。


依存関係は
自分の時間も奪われますが
同じだけ相手の時間も
奪われています。


「自分がいないと
 生きていけない人製造機」
にあなたがなってはいけません。


あなたが
「1人でも
 幸せに生きていける人製造機」
にならなければ
本当の優しい人ではありませんよ。


自分の子供に対してならば
なおのことです。


いずれ自分は高い確率で
子供より早く死んでしまうのです。
明日かも知れません。


自分がいないとダメな人を
製造しておいて
あっさり消えるのは逆に罪です。


パートナーであっても
大切であるならば
依存されているなと感じたら
すぐに魂を切り離してください。



離婚する、しない
ではないですよ。
何度もいっている
魂の切り離しです。


ここまで読んでいただければ
ピンときたと思いますが
依存する側も依存される側も
どちらも自分の中に
全てがあるということです。



依存する側で悩む場合であっても
依存される側で悩む場合であっても
自分だけで解決もできれば
さらに深みにハマることもできる。



人間関係の依存の場合、
相手がいることだから
2人の問題と捉えがちですが
はっきり言えば
あなた1人で解決できます。


それをわかりやすくするために
最初にアルコール依存性の例を
出しました。


同じなのです。


依存対象に自分は
能動的なのか受動的なのか

そこを能動的にするだけで
依存は終わります。


私の笑顔には
あなたが必要
ではなく
あなたの笑顔で私も嬉しい

つまりあなたと離れることで
相手が笑顔になるのであれば
それが嬉しい
ということも意味しますよ。



あなたの周りの人との人間関係は
どちらでしょうか?



それでは今日はこの辺で
また明日に