こんばんは!


今回のテーマは
「お金がどうしてもたくさん稼げない」
のはどうしてか?
についてお話します。


この話、
もうたくさん読みました。
その手の話も飽きるほど
聞きました。
というネタではないかなと
思います。


すでにお金があるように
感じながら生きる
とか
あるものに目を向ける
とか
他者貢献の役割と考える
とか

しかし全然たくさん稼げない。

何故かという理由のお話をします。


人間は結局
あなたがいてくれて良かった!
と本気で言ってもらえたら
それで満足なんです。

自己肯定感や存在意義など
難しい言い回しをしていますが
これを言ってもらえたら
結局クリアしています。

しかし
なぜその見返りを求めてしまうのか?
なぜ私ばかりが…とか考えてしまうのか?

それは満たされてない根底があるから。
です。

その満たされてない根底は何なんだ?

の答えは
お金が満たされてない
人から感謝されていない
体が健康じゃない

追いかけっこになっているので
永久にゴールがないんです。

仮にベースが
お金は余るほどあって
人間関係も良好で
具合が悪いところもない

となれば
綺麗事やカッコつけではなく
もう人に喜んでもらう以外
時間の使い道は特にないな。
になります。

人が
あなたのおかげで
私の人生が救われました!
と言ってきたら

ああ、生きていてよかった。
私が生きていた意味があった。

と、心底思います。

しかしベースがないから
見返りがないと不満に思うし
損した気分になる。

しかし残念なことに
この状態の人が
人から感謝されることはないので
永久に満足する時はやってこない

堂々巡りなわけです。

だからよく言われる
「すでに満たされている」を
先にやるワークとかが
たくさんあるのですが

現実には満たされてないから
全然うまくいかないわけです。

1番手っ取り早いのは
お金持ちになってしまうこと
ですが それになれないから
こうなってしまっているんだろー!
と、また振り出しに戻るので
いつまで経っても
たくさん稼げないわけです。

ちなみに
全く見返りを求めず、
私だけが…などと
考えずに
他人からの感謝のシャワーを浴びて
これ以上の幸せはない!
という時間で人生を送ると
めちゃくちゃお金は入ってきます。

止まりません。

これは本当です。

身内もお願いだから
感謝の気持ちを受け取ってくれ。
本当はお金なんかじゃ
伝えきれないんだけど
他にどうやっていいのかも
わからないから
受け取ってちょうだい!

会社でも仕事でも
いくらでも出すから
うちの会社にいてよね。
他に行かないでよね。
お金くらいしか出せないけどさ。
あなたに任せたい。
あなたに任せるには
いくら払ったらいいですか?
いくらでもいいです。

となります。
後から後から
次から次へと
わけわからんくらい
お金がついてきます。

しかしここの境地に
なかなかこられない。

実は
昔の日本人はこの感覚は
得意中の得意でした。






今は海外の方の方が得意ですね。
何故なら宗教があるからですよね。

日本は無宗教な人が多い。
良い部分もありますが
ワンネスの考え方が
極端に弱いのが問題です。

海外の方は
例えばAさんが
何かとても自分にとって
良いことをしてくれた。
Aさんに何かお礼をしようとすると
怒ったりします。

「私がやりたくて
あなたにしたのよ。
あなたが何かを返したい
気持ちがあるなら
他の困っている人に
してあげてちょうだい」

例えば
日本人の友達がお財布を
無防備に出していたとする。
すると海外の友達は怒る。
日本人の友達に対してではなく自分に怒る。

「何故友人のお財布が
無防備なことに
私が気が付かなかったんだ!」

こんな感じです。

これ違和感があるとすると
今現在満たされてないベースが
あるからです。

今自分が満たされていれば
当然の感情で
偽善でもええ格好しいでもありません。


一つ高い所で物事を見ている感じ。
わかりますか?


子どもに喜ぶことをしてあげた。
もし嬉しかったなら、
同じことをお友達にしてあげてね。

子どもの不注意に
気が付かなかったのは
自分の落ち度

この考え方を常に他者に
している感じに近いです。

もう基本設定が
自分が上位ですからね。
視座が違います。

ということは
得るものも違ってくる。

さて、
何故お金がたくさん入って
こないのでしょうか?

答えは
視座が低いからです。

子どもの視座で世の中を
世界を見ているからです。

視座を高い状態が
通常運転の人生にすれば
ガバガバ入ります。

自分の視座を
振り返ってみてくださいね。

それでは今日はこの辺で。
また明日に。