こんばんは!


今日は
人から好かれる、嫌われる
について改めて考えてみよう
というテーマでお話しますね。


単純に人から好かれる方が
嬉しいですか?
それとも嫌われる方が
嬉しいですか?


この聞き方をしてしまうと
そりゃ好かれる方がいいでしょう。


だってやりやすそうだし。
になるかと思います。


ですが私は
好かれるとは見方を変えれば
「枷」だと思っています。


好かれるってつまり
思考を鈍らせる罠というか。


好かれている人に嫌われたくない
と思ってしまうのが人間なんですよね。


だいたい嫌われてショックなのは
一度好かれていた人から
嫌われる場合がほとんどで

元々絶対この人私のこと嫌いだろ。
と思っている人に嫌われても

でしょうね、見てわかります。
としか思わない。

たまに何としても
誰からも好かれようとする人
もいますが

どんな難しい問題も
生きている限り
絶対に1問も間違えない!

くらい無理な話なので
これにチャレンジするのは
不毛すぎるので
すぐさまやめましょうね。




話を戻して

嫌われるとはつまり
「自由になった」という側面も
大きいということなんです。

想像してみてくださいね。

あなたが一度嫌いになったものを
もう一度好きになる可能性って
どれくらいですか?

私の場合はほぼ皆無です。

人生に絶対はありませんから
もしかしたら
奇跡的な経過をたどって
再び好きになることも
あるかも知れません。

食べ物や色や
ファッションなんかは
あるでしょうけど
人間はないなーと思います。

とすれば嫌われた人に
再び好かれるのは
ほぼ確で無理なんだな。
と決着がつきます。

するとこの段階で
「枷」が一つ減ったことに
なるわけです。

とある人に
嫌われないようにする
ということは
その人が嫌がることは
少なくともしないようにしよう。
とか、
なるべくなら気分良く
過ごしてもらおうとか

別に苦痛やストレス
というほど深刻ではないにせよ、
ある程度は考えて付き合いを
していくことになります。

職場やプライベートで
トラブルは特にないけど
営業などの仕事や
たくさんの人を
相手にする機会が多い人が
「なんか疲れた」
となって
休みの日には誰とも会いたくない。
1人になりたい!
となるのもこれで
別に束縛されていなくても
嫌われていない人たちと
一緒に過ごす時、
立場を全うするために
自分を制限されている部分が
少なからずあります。

この状況からの解放が
どうやら嫌われているようだ
に当たると考える捉え方です。

もちろんわざと嫌われる話は
していませんよ。

わざと嫌われるように
仕向ける方が
よっぽど疲れますからね。

その気もなく
何か嫌われてしまったようだ。
という時の考え方であり、

またむやみやたらに
好かれるというのも
悪戯に枷を増やして
不自由になるのだな
と思っていると
自ずととても自然に振る舞えます

好かれるのも
もちろん悪くないけど
嫌われるのも悪くない

ということは
自分は自由に振る舞うことが
最善かつ
最高なんだと思える。

楽ですよ。

初対面や初出勤や初登校にも
もちろん使えますし

途中で嫌われた場合にも
使える思考です

嫌われるとは
すなわち自由を手に入れること。

好かれるとは引き換えに
枷を1つ増やすということ。

これがわかっていると

どっちも良いんだな〜つまり。

となるんです。

楽です。

ちょっと考えてみてくださいね。

それでは今日はこの辺で。
また明日に。