こんばんは!


今日は
適当に明るく生きていると
自然とうまくいくというお話を
したいと思います。


私の父親という人に触れながら
このことをお話していきたい
と思います。

私の父親は
かなり変わった人です。

良い人ですし、明るいし、
面白い人ですが
とにかく感性が変わっています。


そのおかげで普通の人が
ヤバいと思うことも
全くヤバいと思わないですし、
祖父の裁判の話も以前出しましたが
とにかく一大事にも焦らず騒がず
淡々とやることをやるという人です。


母親が過食症で
アルコール依存症で
大腿骨壊死で最後は全身癌で
とにかく私が子供の頃は
お酒を飲んでは事故を起こしたり
いきなり夜に失踪したり
自殺未遂したり
包丁持って父親に向けたりと
まあ大変と言えば大変でしたが
別に離婚もせず
非常に淡々とこなしていました。


私も淡々と
子供時代を送っていましたが
とにかく細かいことは気にせず
お酒が切れた時の正常な状態の母と
仲良くして終わったという感じです。


父と母は
最後まで2人で出かけたり
旅行したりと仲良しでしたしね。

末期癌の母の介護は
父がやっていました。
そもそも私が子供の頃から
母は入院ばかりしていたので、
父も私も家事スキルが高い
ので
父は掃除も洗濯も
何でも自分でできます。
昭和20年代生まれにしては
中々早くから
家事をやっていた人です。


母が末期癌の時、
私が手伝いに行こうか?と言うと
「いいよ、いいよ」
「お風呂とかは
 ヘルパーさんに頼んでいるから」
と断るんですよね。

私は多分最後に2人だけで
過ごしたかったのかなーと
密かに思って
介護は父に任せていました。

ちなみに母が末期癌を
告げられるタイミングというのも
絶妙で
父は大学教授だったのですが
70歳になる時に
更新せずに辞めます
と大学に言ったのが12月。

年明けの1月が母の癌の告知なので
まるで知っていたのか?
と驚くような
タイミングでした。


そのおかげで
父は毎日のように
母の点滴に付き合い
(大腿骨壊死をやっているので
足が不自由なのです)
入院も手術もお見舞いも
「暇だから毎日行けるわ」
と楽しんでいる様子でした。


実際リタイアして
毎日家にいるより
母と一緒に
病院でブランチしたり、時には
夕食まで病院のレストランで
食べたりして
健康的だったんじゃないかとも
思います。


いよいよ母が
もう亡くなるというので
緩和ケアの病院に移り、
身内がみんな集められました。
おそらく数時間後に
息を引き取るという
雰囲気だったのですが
何を思ったのか父が
「祐ちゃん、
ばあば(うちの母親のこと)が
亡くなる前にご飯食べちゃおう」
と言ってきました。
「は?」
ですよ。


ご飯なんか一食くらい
抜いたっていいじゃない。
こんな瀬戸際で何故ご飯よ?
と私が言うと
「ばあばは体力がすごいから
死ぬと宣言されてから数時間、
下手すると半日は生きるから
食べるなら今だよ」
と言うんですね。


私もその意見には
まあ納得はさせられました。
あれだけ若い頃から
体を痛めつけてここまで
命があったのは
頑健だったからなのは
間違いなく。
「え〜食べんのー?今〜?」
と言いながら、
私と父だけ親族が集まっている
病室から抜けてレストランに
行きました。


本当に変わり者というのは
どんな状況でも変なことしかしない。


どうなったかと言うと
私と父がデザートを食べている時
(何故この切羽詰まった状況で2人
ともデザートを食べるのか!)
看護師さんから
電話がかかってきて
たった今、
息を引き取りましたと。
「だーから言ったじゃんよ〜」
と私は盛大に
父に突っ込みましたよ。

父も
「え!早!」
と言って、
2人で大騒ぎですよ。
もう2人とも笑っちゃってるし。

父らしいし、母らしい。
最後まで母はやらかしますし、
父は変だし。
1番母の近くで大変な母と
共に生きていた
2人が死に目に遭えないという
展開ですよ。

親族がしんみりしている病室に
父と私が入っていくバツの悪さは
今思い出しても笑えます。
は?あんたたち何やってんの?
この場の主役級が
ご飯食べに行っていて
死に目に遭えないってどゆこと?
という空気の中、
1番母に近い場所に通される2人。

これで父は
独り身になるわけですが
家事もできるので
1人で実家に住むと言って
暮らし始めて2ヶ月くらい
経ちました。

父の中には
孤独死とか寂しいとか
全く無いんですね。
毎日淡々と生きている。
電話をかけるとふざけたことばかり言っている。

ちょうど
2ヶ月くらい経った時に
娘を連れて
母のお墓参りに行きました。




その時は父の妹の叔母も来て
お墓参りの前にみんなで
レストランに入りました。


すると父が
「足が痺れたから、祐ちゃん
 パンとコーヒー持ってきて」
と言うんです。

ホテルのブッフェ形式の
レストランだったので
お料理は取りに行くタイプ
だったのです。


「足が痺れたの?何で?」
と聞くと
「革靴がきついのかも」
と。
そんなわけあるか!ですよ。

いつもより口数が
少ないような気がしていたのは
確かで、
「あ、これ良くないやつだな」
とすぐに思いました。


三連休の初日だったので
大学病院に
脳の検査をしたいと
直接電話をかけると
救急車を呼んでくれれば
診察できると言われて
すぐに救急車を呼びました。


父は面食らっていましたが
有無を言わせず
救急車に乗せて
検査結果は思った通り脳梗塞でした。


ただ発見が早かったので
点滴を10日して
全く後遺症なく退院できました。


その10日の間に
私の住んでいる
マンションの別部屋を
父が住む用に買って
実家を売却する手続きを
私が済ませました。


たまたまお墓参りに行った
たった1日に症状が出たのは
母が私に父の異常を見つけて
欲しくてやったな。
と思いました。


しかも脳梗塞ともなれば
もう1人にはさせておけない
状況になる。
これも母が仕組んだなと思いました。


生前、父には感謝しかないと
ずっと言っていた母だったので
これくらいはやるだろうなと
母に半分動かされているような
気分で父の入院や退院や売却や
購入の手続きをしていました。

父は今めちゃくちゃ元気に同じ
マンションで暮らしています。
息子や娘である
孫にもいつでも会えるし
私が夕食を作って
一緒に食べたりもします。

父を見てると
適当に明るく生きていると
自然とうまくいく。
を地で行っている人だなと
つくづく思います。

目の前の一見悪そうなことも
悲観せず、焦らず、怒らず
明るく淡々とこなすと
必ず良い方向に行く。

という基本的な姿勢は
父譲りだなと常々感謝しています。

今週は私の父を例にして
細かいことは気にせず
明るく淡々と生きていると
自然とうまくいく。
ということについてお話してみました。


それでは今日はこの辺で。
また明日に。