




朝、書いた記事も月の影響があったのかもしれないですね。。。たしかに、このわたしの何年間、お母さんと、お父さんとも壮絶な期間で、出かけるにしてもお母さんの許可は直接はとっていなかったけど、帰ってきたら「何していたの?仕事もろくに探していないのに。仕事を探していると言っても決まっていない。遊んでるとしか見えない。」と言われ続けてきたけど、(頻繁には出かけていません)、出かけるにも、そのやりとりがあったから、わたしにとって、出かけることもすごく大変で、そのやりとりを乗り越えられるか自分に問うてから出かけていました。
お母さんは、昔はすごく優しかったです。お母さんの香りをわたしも今でも覚えていますし、お母さんの手作りのお菓子は元気の源だったし、作ってくれたパッチワークの作品は今でも宝物です


だけど、いつの頃からか、写真に映るお母さんの笑顔もあまりみられなくなり、お母さん自身も、それを支えてきたお父さんも大変だったと思います。
わたしは、お母さんの顔色を伺ってきましたが、本当は、お母さんの心からの笑顔をずっと待っていたんだと思います。