安芸高田市の山根市議の石丸伸二前市長に対しての損害賠償請求及び安芸高田市の控訴審判決で広島高裁も一審の広島地裁の判決を支持して双方の控訴を棄却した。


 石丸氏が就任早々議会で起こったイビキによる自身の答弁への「妨害」(答弁を中断せざるを得なかったので妨害と言っても過言ではなかろう。議場内で起こる不規則発言,いわゆるヤジと変わらない。この時の議事録に石丸氏の自虐を込めた発言が載っている。ただしイビキによる中断の旨は記録なしで市長の発言の脈絡はわからないようになっている)に対するツイートを咎めた議員たちが市長を呼び出した場でのやり取りをコレまたツイート,その後その発言の主を明かした事で発言者とされた山根市議が名誉毀損として最初は石丸氏個人に損害賠償を請求,その後安芸高田市長としての石丸氏をを相手に加えて損害賠償を請求し,ほぼ2年をかけて一審が終わって,安芸高田市及び山根氏それぞれが不服として控訴していた。


 一審判決は石丸氏個人への請求は棄却(石丸氏は賠償金を払う必要なし),安芸高田市に対しては払うべき配慮が欠けていたとして請求額の1割を支払え,という判決に付随して,裁判費用の負担を安芸高田市への裁判部分について原告(山根市議)9対被告(石丸市長及び安芸高田市)1,石丸氏個人の部分については山根氏全額負担という結果になっている。


 原告側は名誉毀損が認められた部分を強調して宣伝し,実際は裁判の金銭負担をほとんど自分が被っていることについては一切触れてない。裁判費用はいわゆる「敗訴」した側に多くの負担をさせるのが通常のやり方だそうだが,「勝訴」した側が9割以上の負担をさせられているという「異常な」判決となっているが,原告側及びその応援団はスルーしている(あるいはいかにも「専門的な」理屈をつけている)一人の市議は控訴の専決についての質疑時に賠償額について市長に質問し,議場で裁判について聞く意味がわからないと交わされていたが,スルーした意味がわかっていたのだろうか。


 いじめは人間対人間という関係だけで起こるものではない。その場の状況や場の「参加者」の人間関係が深く関わる。閉ざされた空間で,多数のいじめる側が一人のいじめられる側に対して起こすのが普通だ。そこにいる全員がいじめる側でなくても,傍観していればそれはいじめられる側にとっては相手の仲間となる。常にいじめる側が多数だ。いじめられる側はその空間で孤立してしまう(と感じる),そして心が折れるのである。


 どう考えてもあの全員協議会の場は石丸氏を孤立させるための場である。まして記録は録られていない(設定の)場である。選挙で市議の支援を受けていない石丸氏にとっては完全アウェイの場である。音声データ(状況の客観的証拠になりうるもの)も許されていない(はずなのに相手側は密かに録っていた)。電話でとか一対一でという状況とは訳が違う。裁判では一切そのような状況は考慮されていない。となると,こういう裁判ではいじめ問題の解決にはなり得ないのである。


 それにしても石丸氏の「強さ」はどこからくるのだろう。自分は「もしかしたらこうではないか」という推測はある。国際情勢にもつながるものだが,都知事選の終了後に新たな展開があるだろう。