おばあちゃん | 不妊治療で念願の三兄弟の母になりました!

不妊治療で念願の三兄弟の母になりました!

念願の3人の母になりました。
不妊治療の記録や子供の記録を残していきたいです。


お久しぶりです。



先日、1月2日に
大好きだったおばあちゃんが旅立ちました。


91歳でした。




小さい頃から
厳しくて、褒めてもらった記憶がないくらい


特に躾には厳しかったと思います。


おばあちゃんが住んでいる所までは
車で2時間の場所でしたが


何かあればおばあちゃんのところに家族で帰っていました。


小さい頃から
おばあちゃんについて回るのが大好きで
おばあちゃんについて一緒に畑に行ったり
近所のお友達の家に行ったり
お葬式にも何度もついて行って、
正座をしているのが苦痛で仕方ありませんでした。
子供ながら、私はお葬式にだけは何回も出たことあるんだと自慢でもありました。

毎年田舎で行われる盆踊りにも参加していて
今でもこの盆踊りだけは踊れます。


毎年、お正月には
松茸入りのすき焼きや
焼肉、おにしめや酢ごぼう、黒豆やおせち料理など
たくさんのお料理を作って食べさせてくれました。

特におばあちゃんが作るお味噌汁が大好きでした。

毎年、出雲大社に家族でお参りしていました。
お参りが終わるとき
割子そばを食べさせてくれて、
その帰りに福袋を買って帰るのが恒例になっていました。


私が滋賀県の学校に行ってからは
よくダンボールにお米やおばあちゃんが作ってくれたお料理が入っていました。
いつもビニール袋に小分けされていたので
汁が出ていてダンボールが濡れていることも多々ありました。


私が長男を出産した時にはとても喜んでくれて、
産後
滋賀県に2週間来てくれて一緒に暮らしました。

毎日ご馳走ばかり作ってくれました。


私が
広島に帰ってから約3年後
おばあちゃんは認知症になりました。


田舎でおじいちゃんと2人で暮らすのは難しいとなり、お母さんが2人を広島に呼び生活することになりました。



おばあちゃんの認知症は本当に可愛くて
子供のようなおばあちゃんになりました。


最期まで私たちのことがわからなくなることはありませんでした。


認知症になってから約7年間
ほとんど進行しませんでした。


私が
次男を出産してからは
暇があれば実家にきていたので
かなり濃い時間をおばあちゃん達と過ごしてきました。


次男もおばあちゃんが大好きで
おばあちゃんも次男が大好きでした。


一緒にみかんを食べたり
お菓子を食べたり
パズルをして遊んだり
おままごとをしたり
たまにはお散歩しに行ったり


産まれてから顔を合わさない日はないくらい
会っていました。


おばあちゃんの体調が悪くなってからは
なるべく毎日会いにいきました。


おばあちゃんとまさかこんなにも早くお別れがくるなんて、、、


想像もしていませんでした。


亡くなる最期の2日間


とってもしんどそうで
何度もしんどいと言っていました。


しんどい状態があと何日続くのだろう
と、思っていたので
2日間だけですんで良かったのかな。


いまだに


おばあちゃんがいなくなったことが信じられない感じでボーっとしています。


本当に本当に
大好きなおばあちゃん。


私の名前におばあちゃんの名前が入っていて良かった!

おばあちゃんがいなくなって気づくなんて、、、


おばあちゃん
たくさんの愛をありがとう!!


ゆっくりゆっくり休んでください。