日本100名城 44.名古屋城<21/100>【前編】はコチラ

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 目次

 

  二の丸跡

 名勝 二の丸庭園

 二の丸東庭園

南池

 

 那古野城址碑

 清正公石曳きの像

 東門

 外堀(空堀)

 

 

 100名城スタンプ

 

 チケット

 

 パンフレット

 

 まとめ

 

 

 

二の丸跡

本丸の南東に位置していた二の丸。

本丸搦手馬出と本丸大手馬出に接している。

二の丸の西と東には鉄門が設けられ、三の丸とつながっていた。

鉄門は本丸と同じく二重の門で構成された枡形。

北東、南東、南西に隅櫓、南面の中ほどに太鼓櫓が設けられた。

さらに、二の丸庭園の北側には迎涼閣、二の丸北面の中ほどの出隅には逐涼閣があった。

枡形門部分は多聞櫓で囲まれ、それ以外の外周の多くは土塀で囲まれていた。



 

名勝 二の丸庭園
二の丸庭園は元和年間(1615年~1623年)に二の丸御殿の造営にともなって、同御殿の北側に造られた庭園。

享保年間(1716年~1736年)以後、たびたび改修され、枯山水回遊式庭園に改められた。

 



 

 

二の丸東庭園
二の丸庭園は、文政年間(1818〜29)に大改造された。

西隣りにある現在の「名勝・二の丸庭園」とともに、藩主常任の二の丸御殿の庭園を形成していた。

北に権現山、その西に栄螺山を配し、南に大きな池を設け、その間に六つの茶席を点在させるなど、広大な規模であった。

明治の初め、陸軍鎮台分営が郭内に置かれて以来、権現山の南側を削り、池を埋めるなどして兵営化が進められた。

昭和50年、絵図に基づいて一部の発掘調査を行った。

それで現れた北池・南池・霜傑亭(茶席)跡・北暗渠の4つの遺構を中心に整備して、昭和53年4月、「二の丸東庭園」として開園した。

 

南池
「御城御庭絵図」には、池の北岸に大きな舟形の一枚岩が張り出し中央部に石組みの島が描かれている。

発掘調査では、一枚岩は確認できなかったが、島は現在の池の中に石が3つ並んでいる所の下にあると推定される。

池は絵図に描かれているものより大きく頑丈に石組みした深い池で、他に例を見ない規模であったと認められる。
 

 

 

那古野城址碑
大永年間(1521〜1528)に、今川氏親が名古屋台地西北端(名古屋城二の丸あたり)に築いた城で、一名「柳之丸」ともいわれ、一族の今川氏豊を城主とした。  

織田信秀は、天文7年(1538)この城を奪い、ここに居するが、同11年(1542)頃に古渡城を築城して、この城を去り、以後、嫡子信長が居城したとされている。  

弘治元年(1555)織田信長が清須に移った跡は、一族の織田信光がしばらくの間居城していたが、やがて廃城となった。
 

 

 

清正公石曳きの像
天守の石垣普請は、加藤清正に割り当てられた。

巨石を運ぶにあたり、清正自ら石の上に乗り音頭をとったと伝えられている。

本像は、その様子を模したもの。
 

 

 

東門
チケット販売場所及び入出城口。
 

 

 

外堀(空堀)

 

 

 

100名城スタンプ
設置場所 正門改札所、東門改札所

 

 

 

 

パンフレット
名古屋城

 









 





威風堂々 名古屋城本丸御殿













 

 

 

【名称】 名古屋城
【住所】 愛知県名古屋市中区本丸1-1
【電話】 052-231-1700
【開園時間】 9:00~16:30(入城は16:00まで)
【観覧料】 大人500円、中学生以下無料
【休園日】 12月29日~12月31日、1月1日

 

※ 2015年2月2日時点の情報です


 

 

名古屋城のシンボル「金鯱」。

入城すると早速お目にかかれました。



名古屋城は天守も立派で、敷地も広大なので見どころ満載。


平日でも人は多く、写真がなかなか撮れません...

二の丸の方に行くと人も少なく、そこから見る天守が素敵でした。


公開された本丸御殿はまだ一部ですが、桧のいい香り♪

今後順次公開されていくのが楽しみです。