寂しいよ

怖いよ

 

という子供なら当たり前の感覚に

安心することなく

ずっと誤魔化して生きてきました。

 

 

気づいたきっかけは

ワタシを遠くからセッションしていただいた

遠隔鍼のおかげ

 

↓  ↓ ↓

 

 

 

 

 

その不安は

この先、さらに傷つかないように

どんな時も

最悪パターンを心の中にわざわざセッティング。

 

決して今ある

最高パターンに両手を上げて喜べない

というより喜ばない

選択を繰り返してきたんですね。

 

なんとも、ちゅ〜〜途半端な生き方。

 

まるで腫れ物に触るような接し方を

みんなから感じて生きてきた

 

と思ってましたが

 

私自身が自分の腫れ物に触らないように

生きてきたのだと思います。

 

子育て中

子供の帰宅時間に家にいないと

子供はびっくりするほど

怒っていた時期がありました。

 

これも私の中にある

寂しさ不安に気づいてね!

というメッセージだったようにも思います。

 

思いを寄せるお相手さんからの

たった一つの何気ない言葉

 

どう受け止めるのか。

 

嬉しい言葉

と素直に捉えるか

傷つかないように

そのひと言に

わざわざネガティブな気持ちをのせ

保険をかけて受け止めるか

 

私たちは

見たいように見てるのですね。


要らない保険は手放しです!

 

大人への階段を下手に上がってしまって

純粋な子供の頃の当たり前の感情

それは残酷さも含めて

歪んだものにしてしまっているように思います。

 

感情はノイズ

 

以前教わった言葉が

また深く腑に落ちます。

 

感情のノイズを取り去れば


今の悦び

本当は空も飛べるはずなんです爆  笑


スピッツの

「空も飛べるはず」

の歌のように。


 そのためにも

感覚にこそ!

意識を向けることがキーカギなんですね音譜

 

続きはまた宝石緑