28歳でこの世を去った彼女が 毎年教えてくれること。 | 【大阪・吹田】子育てを通して自分を生き直す☆ 英語教育、子育てコーチング、心理セラピーで人生豊かに☆高野裕香

【大阪・吹田】子育てを通して自分を生き直す☆ 英語教育、子育てコーチング、心理セラピーで人生豊かに☆高野裕香

【大阪・吹田】双極性障害を抱えながら、3歳の子育てをしている保育士ママです。
バイリンガル教育、心理理学、色彩心理、子育てコーチングのエッセンスを綴っています。
わたしの生きた経験が、どなたかの参考になれば幸いです。

こんにちは。高野裕香です。

 

 ☆プロフィール

基本理念 〜あなたへのメッセージ〜

色彩グラスセラピー

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わたしの、大好きな友人の話をします。


彼女は癌で、28歳の若さでこの世を去りました。


毎年、1年に1度、お宅に伺い、仏前で手を合わせ


いつまでも変わらない 美しい姿のままの彼女に会いに行きます。


変わっていくのは、私たち。


「今年はついに、〇〇が結婚したよ」


「子どもが生まれたよ〜」


「□□は2人目やって!」


などなど、1年振りに会う仲間で仏前で近況報告大会。


今年はもう9年目やって。


子どもの数が増えてきて、今までで1番賑やかになったね。

彼女とは、大学の同期で


一緒に大女優を夢見て切磋琢磨した仲です。


とびきり美人で、華のある子でした。


演技力も群を抜いていて、舞台に立つだけで人を惹きつける魅力を持っていた。


普段の姿は、お茶目で甘えん坊


すぐに「お腹すいた〜」ってゆうから、


愛称は “はらぺこよってぃ”。


ミスドのオールドチョコファッションと梅酒をこよなく愛していました。



ただ、生きたかった。
初めは、子宮頚がんでした。

手術すれば、直ぐに良くなる。

そう信じて疑わなかった。

でも、術後すぐに転移が見つかりました。

子宮全摘。結婚前の女の子には辛すぎるよね。

後に、人工肛門になった時も、彼女は気丈に笑っていた。

そして、驚くべきことに、

その頃、まだ舞台に立っていました。

その精神力たるや、凄まじかったと今でも思う。

そして…

抗がん剤の治療が始まりました。

彼女の豊かだった髪の毛は抜け落ち、凄く辛そうだった。

それでも、ウィッグをオシャレに被り、

持ち前の明るさと美しさは健在だった。

病床にいながらも

「桜が咲いたらみんなでお花見いこう。」

と決して希望を捨てなかったよね。

それどころか、東京へ戻るか悩んでいたわたしに

「裕香ちゃんは、裕香ちゃんのやりたいことやったらいいやん。」

って励ましてくれた。

今から思えば、誰よりよってぃが「やりたいことやりたかった」よね。

ただ、生きたかった よね。


それやのに、わたしのこと思って励ましてくれて…

ありがとう。
年明け、抗体がなくなっているところへ、風邪にかかってしまった。

いよいよ 言葉も出にくくなり…

それでも、顔を見ると「ありがとう」と口が動くのが分かったよ。

病院で唯一の楽しみだったジェルネイル、お母さんにもしてあげてたね。

よってぃが旅立った後も、そのネイルがおばちゃんの爪の先っちょに残ってて

「取れてしまうのがさびしい、さびしい…。」

って泣いてたよ。


毎年 思い出させてくれること。
仏前で、会話すると、

「めっちゃいいやんか〜!」って声が聞こえる。

楽しいことも 嬉しいことも

辛いことも 悲しいことも

“感じられる”って、今、生きてるからやね。

生きてるだけでまるもうけ。

生きているだけで 尊い。

「裕香ちゃんは、裕香ちゃんの好きなようにしたらいいやんか〜」

って、今も聞こえてくるよ。

何年経っても、わたしの心に みんなの心に生きてるなぁって感じる。

わたしは、やっぱりつい忘れてしまうから

毎年、大事な このことを思い出させてくれてありがとう。

生きているだけで 幸せです。

ありがとう。

よってぃの分まで 

いっぱい 感じながら

生きていくね。
最後までお読みいただきありがとうございました。

生前の彼女からのメッセージをお伝えしたいと思います。
女性のみなさん、子宮頚ガンの検診をどうか受けてください。
早期に発見されれば、全回復の可能性もあります。
その尊い命を無くさないように、検診を面倒くさがらずに受けて。