そうそう、それでですね、前回の続きですが ≧(´▽`)≦
急に寒くなってきて、体が縮こまるのを防ぐために、
開脚エクササイズしたら
次の日にウチモモがちょー痛くて・・・ (T▽T;)
急な運動は気を付けましょう。
************************************************
「絵を描く」 ということが自分にとってどういう意味を持つのか
を、あらためて20年ぶりに蓋を開けて考えてみたわけです。
学生の頃は 木炭デッサン を主に描いていました。
その頃はまだ、18、19の世間知らず。
何にも考えずただ目の前の石膏像をせっせと描いていたわけです。
木炭はただの炭ですから、紙の上で出来上がる世界は
白と黒だけの陰影の世界。
だから、なんだ。という感じですね、小娘には。
色彩、いわゆる白黒以外の有彩色にも興味はありましたが、
「色音痴」を自認していたため、木炭の白黒の世界が私には
落ち着きました。
そんな小娘が社会人になって20年あまり。
観てきましたょ、数々の世間の白と黒を。
不正、不平等、理不尽という数々の色たちは、
抵抗するモノを次々と飲み込み、
たくさんの人たちを「奴隷」という、色に染めていきます。
奴隷とは、生かさず殺さずの扱いを受ける
サラリーマンのことですww
カラフルな夢や希望に包まれた若者も、
その個性はじゃま扱いされ、
世間の階級制度にならい、
下から順番に、ジリジリと
自分の「価値」を高めなくてはいけません。
そう、決して 完全に自由に絵が描けない … のです・・・。
もしもはじめから「絵の道」へ進んでいたら、
上のことには気づかないでいただろうと、思います。
例えニュースでひどい情報を聞いても体験していないために
自分の経験とはなりにくい。
いま自分の過ごしてきた20年を振り返り、
またこれから木炭デッサンを始めます。
でもそこにいるのは、小娘のころの私ではなく、
「もう知っている」私が描く、
白と黒の世界があるという想いで。
自分の現実(絵)は、
自分で作れる(描ける)のだ、という
想いを強めて。
そして、今の社会構造の一つにある
「認めてもらえない」
「認めてほしい」
という、ある種の精神的飢餓も、
他人の評価は必要なく、
自分自身で克服できること。
うーーーん、壮大な終わり方になってしまった・・・?:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
まぁ、そんなこんなでコレカラの私には
自分のなかにハッピーの種をまき散らし、
調子に乗って、おだつ!!((笑))
がとても大事
みんなご機嫌になれば
世界は平和なのさぁ~~