と気づいた。
人のことを考えている。
答えの出ない人のことばかり、あれこれ考えている。
そして疲れている。
これが他人軸ということでは?と思った。
先週、久しぶりにいつもの居酒屋にツレと行った。
そこには常連のカップルがいて、先に着いて飲んでいたツレと盛り上がっていた。
この人たちは先日、ツレと飲む約束をしていたのをすっぽかした人。
ツレが約束したから飲んでくると出かけたが来なかったらしい。
ツレはなんとも思ってないが、次に会った時に私が来なかったんだって?と冗談で言ったら空気がピキッとなり、ツレも同じことしてるからと言った。
お互い様だよと言う意味だと思う。
ツレにそうなの?と後で聞いたら、そんなことしてないと言っていた。
謝れば済む話なのに、ツレがやってもいないことを持ち出して、お互い様と言って終わらせたことに私は引っかかっている。
自分を守るためのウソとかつくんだなと。
それが終わったことのようにしているのに違和感があった。
わざとらしい会話。
疲れる。
明日山に登るからと話してたので、早々に切り上げた。
この違和感が頭から離れない。
なんなの?この人たちは、と。
2日くらい経ち、また思い出してふと気づいたことは、どうせ考えても答えの出ないことに頭を使うのは止めようと思ったこと。
無駄だ。
こうやって人のことに頭を使うから、私が疲れるんだ、と。
そして、
この人の気になることは、私の中に持っている何かに反応している、と。
ということは、
人のことを考えるんじゃなくて、自分の中に何を持ってるのかとかを考えた方がいいなと思った。
私の中にある、思い込み、決まりごと、ルールを見つけることに使う。
ダブルバインドや利得、まだ気づいてないことに目を向ける。
相手のことは、その人の問題なのでほっとこうと。
その人の問題だから、それはその人が考えたらいい訳で、私はその人によって浮かび上がって来たものを自分のこととして考えようと思った。
投影のことかなと、利得の本を書いた大鶴さんが話していたので、この投影を自分のために使おうと思います。