もしも私の命を分け与えることができるのならば、神よ仏よ、世にも珍しく心映えの美しいあの人を助けたまえ・・・
源氏はこのように毎日夜明けと同時に神仏に祈りを奉げました。
紫の上のことしか頭になく、朱雀院の御賀もおざなりに、女三の宮の元へはまったく渡られなくなりました。
数か月が過ぎても一進一退が続くので、陰陽師に方角やもろもろのことを相談し、紫の上を二条院に移すことにしました。
些か荒れていた庭に手を入れ、昔のなつかしい風情そのままに整えて、少しでも上の心が安らぐように配慮したのです。
紫の上は子供の頃から慣れ親しんだ邸に戻るのを嬉しく思いました。
たしかに六条院は豪奢で庭も広く立派ですが、この二条院こそ我が邸という感じがするのです。
ここには源氏と裂かれた時の辛い思い出もありますが、それ以上に楽しい思い出も多く詰まっているのです。
やっと在るべき処に戻ってきたようで上の容体も少しずつ回復に向かっているのか、まだ起き上がることはできませんが、目を覚ますことが多くなっておりました。
源氏や紫の上に仕える女房たちもみな二条院に行ってしまったので、今や六条院は火が消えたようにひっそりとしております。
源氏の輝くばかりのご威勢はやはり紫の上あってのことであったか、と世の人々も上の病気が回復するよう祈ります。
世間がそれほど紫の上を尊ぶのをかねてより慕っている夕霧がどのようなことをしても元気になっていただきたいと願うのは無理からぬことで、源氏の行わせる祈祷とは別に自らの願いとして紫の上の病気が癒えるようねんごろに僧たちに命じさせているのでした。
朱雀院や冷泉院も心をこめたお見舞いを贈られ、世間では源氏に遠慮して近頃では華々しい行事なども控えられております。
都中が紫の上の本復を願うなか、好機到来とばかりに隙を窺っているのはかの柏木衛門督、その人なのでした。
憧れの女三の宮にお逢いできるとしたら、六条院の警備も手薄になっている今しかない、とこの貴公子は考えております。
柏木は今上とは楽の手解きなどを通じて信頼を得ておりましたので、帝が即位されるとすぐに格別な引き立てをもってして中納言へ昇進しました。
袍もそれに相応しく濃い色目に変わり、柏木の美貌は際立ち、自信に溢れた姿は並みいる貴公子の中でも群を抜いて輝いております。
やはり柏木は逸材である、と朱雀院も改めて認め、御娘・女二の宮を降嫁される意志を示されました。
長年の夢であった皇女を賜るという夢は果たされましたが、女二の宮を得ても柏木の心は満たされません。
女二の宮は女三の宮の異母姉になりますが、母君が更衣という身分であったので、姫宮を母に持つ女三の宮とは違うということで宮を一段見下していたのです。
なんとも不遜なことなのですが、世間の注目を浴び、もてはやされ驕る柏木にはそれと気付くことができません。
宮ご自身は細面のしっとりとした風情の美女で控えめなところが魅力的なのですが、あの桜舞い散る春の日に垣間見た可憐な女三の宮御姿が忘れられず、募る想いは以前よりも増すばかりなのでした。
もろかづら落葉をなににひろひけむ
名はむつましきかざしなれども
(賀茂祭りには桂と葵を両鬘として挿頭するものですが、似たようでありながら私が引き当てたのはなんと落ち葉のような宮であったよ)
柏木は女二の宮をこのように評しております。
理想ばかりを追い求めて周りも現実も見えていないのは、頭脳明晰・沈着冷静と言われた貴公子でも恋ゆえの魔法に翻弄されているからでしょうか。
柏木は自身をも見失い、だいそれたことをしでかしそうな危険な兆候が表れているのでした。
この『源氏物語』は私がアレンジして書いているもので、人物描写なども私の想像などが重きを占めています。
また失われた巻についても想像で描いているので、オリジナルのものとは違います。
お問い合わせが多いのでこの場にて・・・/ゆかり

