こんちは、じっきょーです。

年明けの1月
ついに47都道府県を踏破しまして

ただ、まだ通過しただけの県もたくさんありますので

この5月の連休に
西日本をぐるーっと旅してきました。


島根←鳥取←兵庫←京都←福井←石川
山口→広島→岡山→兵庫→奈良→愛知


これできちんと旅をした県は
44となり

残りは
岐阜、滋賀、大分
の3県となりました。



今回の西日本一周の旅は
9泊10日


見たことない地を訪れ
素敵な景観や、
おいしい食べ物と次々に出会い、

ずっと行きたかった場所にも到達。

とても充実感のある旅に

なると思ったのですが

全然そんなことはありませんでした。

結構毎日が憂鬱で
なんでこんなことしてんだろ。とか
こんなことしてる間に他のこと、自分磨きとかしなくていいのかな。とか
一人旅ばっかしてるとか人としてダメなんじゃないか。とか

とか






まだ日本一周を始めた頃
9年前ですが

47都道府県制覇に憧れ
自分もそんなふうになれるかな
あと何十県あるんだろう

達成する頃には
きっと今より自信が持てていて

なんて思ったりして



でも
9年後の今
現実は思い描いてたのとちがくて







実は最近
何をやっても自分を否定してしまいます。

自分がやることすべて。
なにか選択肢があったとき
一生懸命考えて決めたのに

結局
自分が選んだ方が間違いなんじゃないか
そう思ってしまうのです。


なんなら
成功したこと
ほめられたこと
日本一周のように、達成できたこと
そういうことまで

ここで失敗する人の方が
ここでほめてもらえない人の方が
日本一周なんてできてない人の方が
実は魅力的なんじゃないか


自分が勉強したら
勉強なんかしてるからダメなのでは

自分が勉強しなかったら
勉強しないからダメなのでは








偶然
会社で
外部のカウンセリングがあって
そんなの今までなかったのに
なので
せっかくなので相談してみました。
そしたら




自分を許しましょう。
そして自分を許せると人も許せる。



とアドバイスをもらいました。
ここフレーズが
本日のテーマとなります。




許す。
難しいですね
つまり何をしたらいいのでしょうか





というわけで
許す、について考えてみたのです。




そんでですね、




許すって

すこし言い換えたら
責めるのをやめる
ってことなのかなあなんて思ったりして


そしたら次は

責めるって何でしょうか

たぶん
身の回りで起きてしまった嫌なこと、都合が悪いことを、
否定しようとする作業


なのでたぶん

否定をやめる
ということが

許すということ



なのかなあ。






すでに起きてしまったことを、
なんでこうも
否定しようとするのかといえば

やっぱり
また同じことが起きてほしくないから
だと思いまして

つまりは
良くも悪くも
未来にある意味びびってる



同じことが起きないように
起きた事実に目を向けて
原因を考えて
これからはどうすべきか考えて

つまりは再発防止、とか
改善活動なのですね



それは自分の外のことが対象になることもあるし

自分自身のことが対象になることもありますが




じっきょーは
この
過去の自分を否定しては改善して
同じ失敗しないように
次はもっとよくなるように
失敗するとしてももっと質の高い失敗にできるように
そんなことを繰り返して生きてきたというか
自分の悪いとこに向き合って
向き合いたくないとこに向き合って
それまでの自分を一旦否定して、変えて、
よくなってきたし
だから悪いことじゃない気がする
のですが

悪いとこに向き合って
弱いとこに向き合って
自分を変えようとできるのはむしろ
いいことな気がするんですが



ただ
いまの困りごとは
悪いとこだけじゃなくて

自分のいいところ
成功したこと
ほめられたこと
達成したことまでも
否定してしまうこと






なんでいいとこまで否定しちゃうんでしょうね


なんて考えてて
ちょっと気づいたのです





じっきょーが自分を変えてきたのは
結局はずっと
子供の頃からずっと
人に認められるためで

おかげさまでいま
たくさんのひとに
認めてもらえてる実感はあるけど

やっぱり
苦手としてきた女性関係はネックで
まわりはどんどん結婚していくし
友達も
後輩もそう
それはいいんですが

35歳になったことで
すごく焦りが出てきました

なんとかせんと
なにか起こさんと
そういう気持ちが凄く凄く
すごく強くなってきて

おとなしく待ってられない
なんかしないと
今自分にできることは?
自分に足りないものは?
自分が直せるとこは?




でも
よくよく考えてみると
もう何年も何年も
そうやってきたし
正直
今ただちにめっちゃ直さんといけないとこ
人間として絶対的によくないところ
正直
正直
あんま自分でも見つかんないんだと思います

ということに気づきました
実はあんま自分を嫌いじゃない?



でも
結果は出てない
アメリカ赴任を
婚約破棄でリタイアして
彼女探すために帰ってきて
もう2年
リタイアしてなくても帰任してる時期に
なってしまいましたが
まだ彼女もできてない
年だけとってく
なんかしないと

なんか行動を
なんか改善を

なにか悪いとこがあるはず





でも悪いとこはそれほど見つからず

となると

あ、そうか

いいと思ってたとこが
実はあまりよくなかったんじゃないか



反省しては改善、で生きてきたじっきょーからすると
自然とそうなるようです。



いいとこすらも
あらためて疑うしかなくなって


でも
何か目立つ悪いとこに目を向けるのとは違って

いいところのはずだけどもう逆に疑ってかかってみようぜ
という考え方は
もう手当たり次第に片っ端からすべてをひっくり返して疑ってみていくこと


になりますので
いいとこを全部悪いとことして捉え直してみる
(ここまでしといてなんで悪いとこをいいとことして捉え直してはみなかったんでしょうね、、、)




優しいって言われた
優しいからダメなんかな
人に冷たくなった方がいいんかな

仕事できるって褒められた
仕事できるからよくないんかな
できなくなった方がよかったんかな

何か新しいことに挑戦した
挑戦なんかするからダメなんかな

何も新しいことに挑戦しない
挑戦しないからダメなんかな





自分のすべてを
もう一度疑うしかなくなってると
いいますか

自分で一生懸命つくってきた自分
自分が思い描いて目指してきた自分に
なれてるのに

自分で積み上げてきたものなのに
それが間違いだったのかなって




悪いところを見つけては
否定して
自分を変えようとしてきた
その習慣が


結果が出ないあまりに
そして時間がなくなってきた焦りに飲み込まれ

いいところを疑い直そうキャンペーン
を巻き起こしてしまっている模様



あらあ。
まさかそんなことになっているとは、、





そんなこと考えてると
じっきょーは
ほんとは
自分のいいとこを
ほんとは
自分で一番わかってて
自分をちゃんと好きなのかもしれなくて


その証拠に
ほめられたことに対しての否定も
だからダメなんだ
ではなくて
だからダメなのかなあ、、
みたいな
断定まではできてはいないことにも
気づきまして


毎日のように
自分のいいとこを探しては否定してる
ということは
それだけ
自分のいいとこを
いいとことしてちゃんと認識してるってことだし



あらあら
ほんとは
自分て結構いいとこ多いんだよて
思えてるのかな





そんな
いいとこ
自分の好きなとこ

いま
片っ端から
自分で排除しそうになっちゃってる


もともと
悪いとこを排除していく性格で
いいとこまで排除し始めたら
もう何も残らない、そりゃ
自分も壊れていきますよね




彼女いない・結婚できてない・もう35やん
という焦りがそうさせたのかな






それなので
彼女できないとか
結婚できないとかも含めて
今後起こりうる嫌な未来、嫌なこと


それらを
全部、完璧に回避しようとしすぎず
うまくいかないかもしんないけど
いろんなことが起こりうる
思い通りじゃない未来だってくる
それにびびりすぎずに


だから
残念ながら
少し諦めにも似てるのかもしれないけど
まあ完璧主義なとこがあるので少し諦めてる方がいいのかもしれないんですが




あんまり
自分に都合の悪い未来に
びびらずに

まあ嫌なんですけどね、
彼女も奥さんもできないのは


まあでも他も含めて
過度にびびらずに


もっとびびらずに
未来に飛び込んでいきましょう




ああならないように
こうならないように
と思いすぎること

それが
もしかしたら
今自分で直せるところなのかも
しれません





ああならないように
こうならないように
びびりすぎないことが、結局は

自分を許す

ということなのかも
しれないなあなんて思いました。




だし、
過去も未来も
嫌な出来事を過度に否定して排除して自分から遠ざけて、そのためにはどうすべきか?
ってやらなければ

まあそういうこともありますわな
って思っとけば

たしかに人が起こしたことも否定しない
つまりは
人も許せそうな
気がしてきました。




嫌なことにびびんない
それが
自分を許して、人も許すことなの
でしょうかね。




もちろん
世の中はあいまいなので
びびんなきゃいいわけでもなく
びびったらいいわけでもなく
二元論ではないとは思うので



あくまでもバランスとって
びびるときはびびって
でも
過度にびびるのはやめて


嫌な可能性を全部排除しようとしないで
ある程度
まあそういうこともありますわな
の精神で


ちょっと今年はやってってみようかな





久しぶりの投稿でした。



なかなか前に進んでないじっきょー
ですが

もし
わたしも前になかなか進まないのよねえ、と思ってる方が読んでくれてたら、一緒に悩みましょう。
全員が全員、私の人生うまくいってますよキラキラ!って記事書いてたら、読む人は疲れちゃいますからね、
うまくいってない人もいますからね、安心して一緒に、ひたむきに、そして根気よく生きていきましょうね。


まあ生きてりゃそんなこともありますわな


の精神にて


長々とお付き合い頂いてありがとうございました。毎度本当にありがとうございます。


更新頻度は落ちておりますが
みなさまのおかげで
ここはじっきょーが帰ってこられる心の温泉のような場所になっておりますので

また浸かりにきますね。




先週よりもすこし前向きになれた、

じっきょー


こんちはじっきょーです。

 

みなさん、自己肯定感どうですか?

日々順調に高まっていますでしょうか。

 

じっきょーはなかなかあがりませんで。。

昔からいつも考え続けてしまうタイプです。

 何が原因なのか、

 具体的に何がコンプレックスなのか、

 どういう自分になりたいのか、、、

 

自問自答を続けては、

いつも逃げずにそこに向き合ってきたつもりです。

ひとつひとつ、クリアしてきたつもりです。

子どものころからそういう性格でした。

でも、

あがらないのですね。

歌も、仕事も、バイクも、料理も、他いろいろ日々前進していますが、

前進したらしたで、そんな自分を自己否定。

 

歌がうまくなった! → え歌を聞かせたいように見えてうざいかな。。?

仕事で議論に強くなった! → え毎度毎度意見言っちゃってうざいかな。。?

バイクで全国制覇がもうすぐ! → べつにやろうと思えば誰でもできることだしね。。?

料理ができるようになった! → 料理できない男子が好きな女子もいるもんな。。?

 

 

自己肯定感があがらない、というよりは、

一旦あがるんです。できるようになったぞー!って。

でもですね、

ものごとは人によって良くも悪くも見えるよね、と思うと、

悪い方に捉えられることばっかを心配してしまうんですね。

せっかく自己肯定にたどり着いたのに

これって誰かの鼻につくかな。。?

とか思ってしまいます。

 

凄く努力して歌がうまくなった! → そんなんだから俺はダメなんだ。

凄く努力して議論に負けなくなった! → そんなんだから俺はダメなんだ。

バイクで全国制覇がもうすぐ! → そんなんだから俺はダメなんだ。

料理ができるようになった! → そんなんだから俺はダメなんだ。

多分何ができるようになっても → そんなんだから俺はダメなんだ。

 

そうか、、俺はダメだから、なにかもっと別のことを磨かなきゃ!

とか考えているだけで行動できていない → そんなんだから俺はダメなんだ。

いや考えだけじゃなくて行動に移した! → そんなんだから俺はダメなんだ。

 

という感じで、じっきょーの中では処理されるようです。

ということに気付きました。

 

自分の中の悪い部分 → ダメ

改善して良くした部分 → いいけど見方によってはダメ

という考え方 → ダメ

この話も長い → ダメ

ダメなら直せばいいが直したところで → 見方によってはそれもダメ

 

 

ようやく気付きました。

そういうシステムだったんですね。。じきょの頭の中。

どうも自己肯定感がいつまでもあがらないはずですね。。

 

 

 

2つに分けた方がよいですね。

・自分でダメだと思っている部分

・よくなったと思っている部分だけど、他の人からは悪く見えるかもしれないという事

 

1つ目は、成長のきっかけになるので、今まで通りに向き合い続けられるといいなと思います。

2つ目は、立場によっては悪く見えるかも、という客観視はとても大切だと思いますが、じきょの悪いところは、その客観視で悪い面をみたときに、自分の評価を100悪いに振ってしまう事です。90%良い、でも10%くらいは悪い(かも)、くらいでいいかもしれないのに、すぐ良さ0%、100%悪い、ダメだ、俺ダメだ、クソだ、あーあ。ってなるところが良くない。

 

もうしみついた性格ですね。

 

客観的にみられるところはとてもいいところだと思います。

まあ客観的に見ないで自信家ナルシストの方が行動力にもすぐれモテそうですが、自分はそういうゴリゴリの人はあんまり好きじゃないので、客観的にみるのは一旦よいことにします。モテたいけど、それ以上に一緒にいて安らぐ人、一緒にいて落ち着く人になりたい。

ただ、客観視したあと、いちいち落ち込むところがよくない。

 

 

今日ここで、きちんと分けときましょう。

 

「せっかく自分で育てた強みは、良さ90(10は客観視の余白 兼 伸びしろ)」

 

 

 

2つに分けないといけないなあ、

というのは今ブログを書いていて気付きました。いい発見でした。

 

もともとはそれを書く予定ではなくて、

いいところができても悪く捉えてしまうんです、どうしよう、何か考えないと

という記事になるはずでした。

 

 

 

先日、自分用に、落ち込まないための15か条をつくったのですが、

その中には今回の話は入ってなかったので、

入れたいと思います。今からは16か条になります。

 

 

15か条はもう何日か繰り返して思い出して、

ちゃんと全部暗記しました。テスト勉強みたいですね。

 

 

その中に、今日、16個目が入ってより強力になります。

 

 

15個はまた今度書きたいと思いますが、

実際は、

今までブログで十何年も書いてきたようなことからの寄せ集めです。

よかった気付きを今更ながらまとめました。

 

 

今年もあと5カ月弱ですが

落ち込まないための16か条をきちんと自分の中に落とし込んで

2023年の残り

いつも元気なじっきょーを目指します。

 

ずっと元気なじっきょー、なかなかできたことがありません。

まずは残り5カ月からチャレンジします。

 

なるべくいい状態を保った方が

自分にも

周りにも

プラスになれるだろうし、なれるように、やっていきたいと思います。

 

 

じっきょー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(おまけ)

NG集です。

 

今日はもともと↓のやつを書いていましたが、

まとまりがないのでボツにしましたが、

消すのももったいないので、

残しておきますが

自分用のメモ

程度です。

 

 

 

自己否定感が強かったので

自己肯定できるようにちゃんと改善したのに、達成できてるのに、

結局改善した自分を再度否定してしまう事例3個。

1歌 2会議 3バイク

 

 

1つめ

じっきょーは歌が好きだったのですが

中3のとき、録音された自分の歌を聞いて、

へたじゃん。。。と愕然としました。

そこから自分の歌を録音しては修正する、というのが

もう20年近く日課になっています。

中学のときはビデオカメラ、高校の時はガラケー、最近はスマホです。

大学生のときには総額100万くらいかけてボイトレにも通いました。

じっきょーの目標は、カラオケに行けば毎回誰かに褒められること、でした。

本当に色々試行錯誤して練習を重ねた結果、

十数年たった27歳くらいから、褒めてもらえることがとても増えました。

バラードを歌うとみんな静まって聞いてくれたりしちゃったりしちゃって

で歌い終わると拍手が沸き起こって👏👏

そうです。目標がようやく達成されたのです。

もうさすがにうまいと自信をもっていい頃です。

なりたかった自分になれたのです。

 

でも、夢に見ていた「みんなから歌を褒められること」が増えた結果、

カラオケにいっても、

なんか一人だけガチっぽくて雰囲気壊すかなとか

歌に自信がない人だっているのに、歌いにくいって思わせちゃうかなとか

だまって聞いてくれるってことは会話もしにくいんかな、なんか悪いなとか

せっかく他に褒められてる人がいるのに俺が歌ったら空気壊しちゃうかなとか

じゃもう俺なんかあんま歌わない方がいいよね

ってなって

カラオケであまり歌わなくなりました。

歌っても5割くらいの力でしか歌わなくなりました。仲いい人といるとき以外。

 

自己肯定感があがりませんでした。

 

 

 

2つめ

じっきょーは大学の頃、とても会議が苦手でした。

就活のときは、一次選考のときにグループディスカッションがあると

必ず落選していました。

話す勇気がない、のではなく、

何を話していいかわからない、のでもなく、

みんなが何を議論しているかまったく理解できなかったのです。

全然ついていけませんでした。

俺ってこんなバカなんか。。って愕然としました。

グループディスカッションの練習会にも何度か参加しましたが

状況は改善せず

毎回毎回、なにが議論されているのか、右から左に流れていくだけ

本当に自信がなくなりました。

なんとかしないとって本気で思いました。

 

その気合いもむなしく、

会社に入ってからも会議ではボコボコでした。

 何が言いたいのかわからないんだけど。

 で?

 話ついてきてる?ついてこいよ。

 報告、っていうより日記みたいに見えるんだけど。笑

 またなんかごちゃごちゃ言ってるけどさー(イライラ

幹部陣から色々言われ続けました。

 

絶対こいつら数年後だまらす、という誓いを胸に秘め

あらゆる会議で、自分が関係の薄い会議でも、先輩も後輩もすべて、

一言一句集中して観察し、

特に実力派のいろんな幹部たちの発言をメモして、

普段の何気ない会話からも発言をメモして、

発言からパターンを抽出していって、

それぞれの人の思考パターンを自分なりに分析して、

なんでそういう発言をしたのかを直々に時間もらって聞きに行って、

そういうのをいいとこ取りで盗んで盗んでくっつけて、

どの幹部にも絶対負けない思考パターンを自分なりに少しずつ構築して、

会議で誰かから厳しい指摘を受けたときにも、

構築してきた自分なりの思考パターンを瞬発的に発動して反論できるように

何度も何度も何度も何度も、思考を反復練習してはボコボコにされ、

 

かれこれ10年たったんですけど、今もうほぼ負けません。

相手が課長だろうが部長だろうが他部門だろうが、何かを指摘されても、

瞬時に反応してその場できちんと反論、説明、まとめができます。

論点がずれたら瞬間的に気付けるし、ズレや矛盾を確実に捉えられます。

論理を整理した上で自分の間違いだったら、もちろんすぐに認めて取り入れます。

それでも、今でも後輩含むまわりの人の発言を自分のメモに日々追加しています。

 

幹部陣からも、じっきょーが論理的だ、と評判なようです。

あんだけ言われていたのに。

うれしい。やっとです。やっとここまできた。本当にいばらの道でした。

なりたかった自分になれたのです。

 

そしたら、

仕事ではなくて日常会話の雑談の中でも

なにか意見が違うことを人に言われると

それが的を射ていれば図星でもわりと素直に飲みこめるのですが

なんか違うんだよなあ、と思うとき、

その”なんか”がすぐにわかってしまうので、

このまま話し合っても噛み合わないんだろうなとすぐ見抜けてしまうので、

それを説明してしまうことが増えました。

もちろんかなり優しく丁寧に、相手の気持ちを害さずに説明してますよ。

これは自分の理想の形です。やっとそうなれた。

 

でも

本当は何も考えず、うんうん、そうだね、うんうん、

ってただうなづいてあげてた方が、

相手は気持ちいいんだろうな、その方が好かれるんだろうな、

もしここにもう一人、そういう人がいたら

話は噛み合ってなくてズレズレなのに、俺よりそっちの方が好かれるんだろうな

とか思ってしまって。

どうせ細かいって思われるんだろうな、とか。

理屈っぽい。難しい。何言ってっかわかんない。話長い。とか。

うざがられるんだろうなって。

 

 

自己肯定感はあがりませんでした。

 

 

3つめ

じっきょーは自分に何もない、というのがコンプレックスでした。

人によっては

歌があるじゃん!とか言ってくれるのですが、

歌は上記に書いたとおりなので、じっきょーの中では、何もないことになっていました。

 

という中で

バイク旅を始めまして、

わりとほぼ全国を回っていまして、

まだ踏み入れてない県は、福井と石川だけになりました。

 

バイクで全国を回っている、が自己紹介になりました。

歌みたいに披露しなくても伝わりやすいので、便利です。

 

こどもの頃から、日本中をめぐって各地に知り合いがいる、みたいなのも

憧れでした。

じっきょーは各地に知り合いはできていないですが、

各地でいろんなおじいさんおばあさんおにいさんおねえさんとお話をしています。

そんな経験がとても心地よい感じです。

 

すれ違うバイクが大荷物を積んで、

その一部に、筒状の銀マットが輝いている、そんなのを見て

俺もキャンプしながら全国回れたらなあ、、なんて思っていましたが

先日はテント4連泊もしましたし、自分もそうなれました。達成感もあります。

 

誰かと違うアピールポイントがある、つかみがある、自分のキャラがある。

そう思うと少し自信を持てて、

行動力すごいですね!!!と言われることも増えて

なりたかった自分に近づいています。

 

ですが

実情はバイクで走る距離が人より長いだけなので、

努力しなくても誰だってやろうと思えばできる事ですし、

キャンプもテントを張って地元の名産品食べて寝るだけなので、

最低限の道具だけだし、キャンプ飯や焚火等の映えることはしていないし、

こないだまでは全国を回れる人なんて憧れだったのに、

自分がそっち側になってみると、

逆に全国を回り切ってしまった人なんて、彼女とかできたときに、

誘いがいがなくてつまらんと思われるかな、とか思ってしまうし、

 

自己肯定感があがりません。

 

 

 

いくらでもあります。

 

料理がすごくできるようになったのですが、

料理できるとか言ってしまうと料理を売りにしてる女性には逆に鼻につくかなとか

 

筋トレをしてやっとがたいがよくなったのに、

がたいよすぎて気持ち悪がられないかなとか

 

もうキリがないのですが

 

自己肯定感があがりません。

 

 

 

 

みたいなことを書いていたのですが、ここはボツにしました。

 

おまけ終わりです

 

 

 

 

おまけまで読んでくださった方、(もちろんおまけの前までの方も)

お時間割いて頂いてありがとうございました。

残り5か月頑張っていきます。

 

 

じっきょー

こばんはじっきょーです。

 

 

たいしたことではないのですが

ふと思い出したことがあるので忘れないうちに書いてみます。

20年以上前に思ったことです。中2か中3の頃です。

 

 

 

よく急に思い出したなあ。

 

 

 

じきょの中学校では、朝読書の時間があったんですね。毎朝15分くらい。

 

みんな家から好きな本を持ってきて、読む時間です。

 

べつに日本史がめちゃくちゃ好きだったわけではないのですが

おとうさんが本を貸してくれて

武田信玄、という戦国武将の本を読む事になったのです。

 

4巻セットでした。風の巻、林の巻、火の巻、山の巻。

風林火山という言葉が有名ですね。

 

 

読んでいくうちに

武田信玄という武将は当時めちゃくちゃ強かったことを知っていって

中学生のじきょは

強いとか最強とか究極とかが好きだったので、どはまりしていったのです。

 

 

こどもって、何かを好きになるとのめりこむように調べたりして

気付くととんでもない知識を身につけていたりすると思うのですが

じっきょもそんな感じでした。

 

 

友達にもたくさんその話をして

日本史が、戦国時代が、どれだけおもしろくて、

武田信玄がどれだけすごい武将で、

 

帰り道にいつもそんな話をしていたら

 

もうその話はいい、と友達から言われてしまいました。

 

 

 

 

強いものが好きな男の子がドハマリする、ドラゴンボールですが

じっきょーも順当にドハマリしました。

 

小5くらいの時、地元の小さな町にツタヤができて、立ち読みできたので、

そこでたくさん読みました。友達からも借りました。

 

すこし詳しくなってくると

じっきょーよりももっともっとドラゴンボールに詳しい友達が

実はクラスにも学年にも結構いる、という事に気付いていきました。

 

小学校なんてヒマなので色々やって遊ぶんですが

ドラゴンボールのキャラを1人ずつ言っていって、

言えなくなったら負け!みたいな遊びもしていました。

 

それに負けるのが悔しかったり、勝ちたくて勝ちたくて

単行本以外のドラゴンボールの資料も買ったりして

キャラをたくさん書き出してまとめて勉強してめっちゃ詳しくなって

で、

そのキャラをいうゲームでは無双できるようになったら

じきょとやってくれる人がいなくなりました。

 

 

 

 

なんか

詳しくなるのってすごい楽しいことだと思っていたのですが

詳しくなるのって実はすげえつまんねんだな。って思いました。

 

自分の熱で話しても相手は興味なくてつまんなそう。

相手につまんながられて自分もなんか悲しくなって孤独。

 

 

 

ドラゴンボール好きは小学校がピークだった気がしますが

そのあと中2、中3くらいまでドラゴンボール大好きでした。

その2年間くらいは、

もうドラゴンボールは独りで楽しむものになっていました。

 

その頃も

あー。

また誰かとキャラを言い合うみたいなゲームしたいなあ。いつか。

という妄想が

モチベーションのひとつではありました。

でもどうせ詳しくなりすぎて誰とやっても手応え無いんだろうな

とも思っていました。

 

 

 

中学生のじっきょーは

もう今後

何かに詳しくなるのはやめよう、何かひとつの事を極めるのはやめよう、

そう思いました。

そこからドラゴンボールからは離れました。

武田信玄は4冊目(最終巻)の途中で、完読しないでやめました。

 

 

 

 

そういうのを感じずに何かにのめりこめる人ってすごいなって思います。

誰にもわかってもらえなくてものめりこめる人。

 

 

 

 

大人になってから

自分には何か1つの事を極めた経験がないなあ。自分には何もないなあ。

とすごく思うようになりました。

世間もそう変わりましたよね。何でも屋より、1つ抜きんでてる人が貴重な時代に。

それなので、より一層、何もない自分を責めてしまったりして、

なんで俺って何ものめりこむ事なく来ちゃったんだろう。。と

ずーーーっと思ってきました。

 

 

と思ってきたはずだったんですが、

さっきふと思い出したんですね。

そうなんですよね、中学校のときに自分からやめたんでした。

武田信玄とドラゴンボールにハマってハマってめっちゃ詳しくなって孤独になって

何かを極めようとするのをやめたんでした。

 

 

 

 

 

今、

べつに極めたわけじゃないですが、

バイクで全国をまわっています。

宿泊したことがある県が、38都道府県になりました。

踏み入れたことがある県は、44都道府県になりました。

 

わりと極まってきたことによって、

見事に、中学の時と同じ現象が起こっています。

20年前の武田信玄とドラゴンボールのおかげで

今はおもしろさの押し付けをせずに人に話すことができているのですが

やはり

これだけ全国を回ると何時間でも熱く語りたくなる部分を

表面のあさーーーーいとこだけに絞って、かつ断片的に人に話すので

だれかに話していても

自分自身はまったくおもしろくないです。

だからやっぱり20年前に気付いたことはそこまで間違ってなかったんだなあ

と思います。

 

 

 

ただ

中学のときと違うのは

武田信玄やドラゴンボールと違って、日本全国の話というのは日本人に共通なので

わりと興味を持ってくれる人もいるし、

話せばそれなりに通じますから、

それほど孤独感はないです。

 

 

武田信玄のときは

じきょが好きだった武将は

山県昌景や甘利虎泰だったのですが

そんなん誰も知らなくって、というか興味すら持ってもらえず、孤独でした。

 

 

 

 

というわけで

自分が何かひとつのことを極められなかった原因が1個

わかりました。

 

ハッとしました。

 

自分でやめてたんですね。ちゃんと失敗体験をしたうえで。

 

 

 

 

そういうことを考えずにドハマリして、突き抜けられる人がすごいなあと思います。

憧れてしまいますね。

じっきょーはいつも

おもしろそう、極めたい!と一瞬感じても

そんなんやってもな、何になるん?どうせ孤独になるだけやん。

て思ってやらないことが多かったのは、

今気付けば、そんな体験があったからなのかもしれないです。

 

 

そのかわり

何か話したいことがある人の話を、

よく聞いてあげよう!引き出してあげたい!という姿勢が育ちました。

まあそれはそれでいいのかもしれないです。

話をよく聞く、という部分が、

自分が興味ない話の中にも、何かきっとおもしろい要素があるはずだ!たくさん話してもらってそれを見つけよう!という姿勢が

実は誰にも目立たず、じきょのすごく突き抜けた部分になっている

 

とかだったらとてもうれしいなあ。

 

 

 

 

 

 

突然ですが近況報告です。

 

 

日本に戻ってきて1年半弱ですが

いっこうに彼女はできません。

マジでとてつもなくモテないです。

34歳です。

どんどんモテなくなっている気がします。

1回婚約まで行っちゃったからなのか

異性と会ってもあんまりこの人だ!って思えなかったりも多いようで

すこし焦ってきました。というかめちゃくちゃ焦ってきました。

トンネルの出口が見えてこない。全然見えてこない。

むしろ見えてた光も片っ端からどんどん消えていく感じです。

だいぶ下を向きがちです。

さっきもかなりうなだれてました。

でも下を向かずに2023年を走り切ることが目標です。

下を向かない。下を向かない。きっとよくなる大丈夫。

 

 

 

会社では係長になりました。ひとつえらくなりました。

おりこうさんです。

課長や部長を説得して納得してもらえるようにもなってきました。

すごいですよね。評価も高いんですよ。

じきょはすごい!と幹部からも言われ続けています。

が、

実はそうなれたのは、課長や部長、その褒めてくれている本人たちが

今までじきょをたくさん育ててくれたおかげです。

じっきょーは育ててもらったとおりにやっているだけなのですが、

当の本人たちはあまり気付いていないようです。

 

というざれごとをいつも書かせてくれている

この場のみなさんのおかげでもあります。

いつも見守ってくれて本当にありがとうございます。

 

 

かなり視界が開けてきた一方で

後輩の不足しているところにもよく気付くようになってきて

よく指摘をしています。

嫌われたくないしプレッシャーもあんまかけたくないし

でも嫌われ役にならなきゃだったり、

プレッシャーも多少は必要だったり、

するので指摘はするのですが、こわいです。

本当は、気さくで話すとおもしろいただの先輩、でいたいんですけど

 

 

土日とかに、どうやって伝えてあげるべきかとかめちゃくちゃ悩んで

一番後輩が受け入れやすい方法、後輩にとっていい方法とか

いろんな視点で考えて

自分なりに答えを出して、整理して、

当日、後輩と対面して話すと、なんかねー、ぐだぐだになります。

あんな考えたのにー。

 

まるで考え過ぎて本番でぐだる告白のようで、恥ずかしくなります。

 

 

これもまたひとつ、

まだ自分にない何かを得られるチャンスなのでしょう。

くじけずにひたむきにやっていきます。

 

 

 

 

 

下向かずね、ひたむきにやりましょう。

いつかよくなることを信じていきましょう。

よくならないことを信じてしまいがちですが、何もいいことないですので

下向かずいきましょうね。

下向かずいきましょう。

よしがんばるぞー。

 

 

じっきょー