湯浅醤油有限会社、丸新本家株式会社の新古敏朗です。
湯浅町は、古墳が有るほど歴史的には古く、
神社もまた同じく歴史を持っています。
「顯國神社」、西暦801年創建 約1200年の歴史を誇ります。
(右の表参考)湯浅が醤油の発祥となったのも、この町が栄え、人で賑わい海上交通の要として
重要な位置づけに有った事は、間違いないと思います)
御由緒
縁起は、「人皇代五十代桓武天皇(かんむてんのう)延歴20年(西暦801年)
坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)将軍詔を奉じて下降し霧崎(れいき・カメのこと)
三波間に浮かび挙動奇異なるを以て小濱の海士(あま・漁師のこと)をして海底を探らしめしに
大中小の霊玉(れいぎょく・霊妙な力をもつ玉)を得たり光鏡の如く将軍喜悦之を拝戴(はいたい・頂くこと)して(ここに)に詞(みことのり・ことば)を建設し大いなるを大国主命(おおくみぬしのみこと)として主神となし中小を須佐之男命(すさのおのみこと)奇稲田姫(くしなだひめ)神として配祀(はいし)して大国大明神と號(ごう)し比の所の鎮守の仰ぎ人民と共に厚く禮祭を行ふ之を聞き傅遠近の人々参拝祈る處心ず関応あらざるなし」と伝えられている。
延歴20年(西暦801年)10月、坂上田村麻呂が紀伊國有田郡霧崎かま菖浦の里に到って三神を崇敬(すうけい)し、
正殿を造営して大國主大明神と称して祀(まつ)ったのが当神社の創建である。
その後、土豪湯浅権守藤原宗重が神々に対する尊信の念が厚かったことから、
第76代近衛天皇(このえてんのう)天養(てんよう平安の後期)元年(西暦1144年)10月
湯浅村に土地を定めてこの森神殿を遷(うつ)して「顯國明神」と改称した。