
今日のいちまいは、私の生まれた町をイメージした絵です。
私が生まれ、今も住んでいるのは福井です。
原発の再稼動をするか、しないのかで大きな話題となっている福井。
知事が再稼動に同意、二日後にはおおい町長が同意すると思われます。
私は、小浜で生まれたので
原発があるから豊かというのは生活に直接、感じたことはないのですが
原発を持たない町にいても挟まれていれば、事故が起きれば大きな影響を受けることを
子供の頃から知っていました。
小学校の時、修学旅行先へと出発したバスの中で
窓を見ていた私にクラスメートがいいました。
「今、あった区切り!あれな、もし原発で事故が起きた時に
放射能をあびた私たちがよその県へ逃げれないように、封鎖するための区切りなんやで。
私たちは、放射能を広めたらあかんからって囲われるんやで。」
といいました。
その時の区切りがどの道だったか、嘘か本当かは分からないし
放射能への知識もない頃に話しています。でも
大人から聞いたであろう、その子の言葉は大きな意味では合っています。
そして、その時から「便利な電気は、そういう危険の上で成り立っている。いざという時は
自分達は逃げられないんだな・・・」と子供ながらに思いました。
大人になって、その時に感じたショックは薄れてきても
きれいな景色の中に、どんと構える原発の施設は
やはりいつまでも違和感がありました。
福島の事故が起きた時、将来の福井を見た気がしました。
子どもの頃に感じた漠然とした恐怖ではなく
本当に心が痛く、悲しかった。
この間、放射能に苦悩する親子を追った番組を見ていて
辛くなり、食べていたご飯も途中で食べれなくなりました。
事故が起きた時
日本は原発を失うのでなく、原発がある町の人々が思い出が散りばめられた景色を失い
そこへ帰れなくなる。そして、県民だけでなくたくさんの人が、見えない放射能に苦しまなくてはいけない。
繰り返してはいけないと思う。
「原発がなくても豊かで幸せな福井」になるための、大きなチャンスだったのに
何の新しい提案もされないまま、県民の不安も、疑問も取り入れられないままの
再稼動、同意・・・。
福井県内で反対の抗議もたくさんあったのに
取り上げられず。
最初から、決まっていたかの様に物事が
政治的に上の人達で進んでいます。
それなのに、福井県民を非難する人達の声も。
「貧乏県」「福井のものは一切、買わない」「交付金目当て・・・」
今まで電気を届けていた関西からも、ひどい言葉が。
福島の事故から、今まで
不安を感じなかった福井の人がいるでしょうか・・・
原発を稼動してほしいと思う人の多くは、生活がかかっているご家族だと思います。
電力会社に勤務されていたり、商店の方々。
今まで、仕事をして家族を支えて来られたのですから
「仕事はなくなる、消費税は上がる?・・・家族は?家は?子どもは?」
日本の安全を一番に考えたくても、まず明日、自分と家族が生きていくための不安を
感じても仕方がないことです。
そういう方達に対して、何か生活の提案があれば
どうだったでしょうか。
知事さんと、町長さんは、皆さんの不安や意見を聞きに
県内を走り回られたのでしょうか・・・
福井で作られる電気は、福井でなく関西に届けられます。
福井では夜にクーラーをつけなくても夜風で過ごせる田舎もたくさんあります。
でも、アスファルトの多い都会では、節電の夏はきついのではないでしょうか・・・
もし、再稼動をせずに毎年の猛暑に節電が重なり、夏を越えられない方がいたら
今度は「福井が再稼動しなかったからだ」と、非難はそちらへ行くのではないでしょうか。
電気は必要、でも私は永遠に原発を持ち続けるという考えは、反対です。
「再稼動するかしないか」をただ迫られて
何の新しい方法も提案されず、県民、国民が選ぶ機会も与えられないまま
永遠に稼動をする決定をするというのは違うと思う。
そして、生活を抱えながら、生活の変化を考え行動する時間も環境も与えられず
苦悩している福井県民が非難されるのも違うと思う。
私は、福井の嶺南に嶺北にも
大好きな景色があり、大切な人達がいます。
そして、関西にも、日本の色々な町に
大好きな友達がいる。みんな、幸せに暮らしてほしい。
どうしたら、一番良い方法で前へ進めるのか
変わっていけるチャンスを、強い力で押し進めるのではなくて
小さな声を、たくさん聞いて大きな力にしてほしい。
長くなってしまいましたが、福井に住む私が感じる気持ちです。
イラストブログなのに、関係ないようですが
福井の景色は、朝焼けも夕焼けも海も山も、人も
私の描く絵に大きく影響してきました。
だから、今日のいちまいに描きました。
読んでいただいてありがとうございます。