なんとか2年生生活も軌道に乗り始めたようで。
まず、スタートが遅れたことから躓いたけれど、そのほかにも問題は山積みでした。
娘が通う小学校は登校班?というものが存在しません。
ということは、各自でどうぞ、というスタンスなのですが、無駄に広すぎる校区なので、前にも話したかも知れませんが、我が家は別の小学校の方が近いくらい遠く端の方です。
1時間かけて歩いていく、ということがどれだけ本人の負担になっているかということは、身体面からは随分考慮してきたと、私個人の自己満足に過ぎませんでした。
勿論、強い雨の日は送っていく(学校に許可を貰いました)とか、運動会シーズンはただでさえずっと外で練習だから朝も帰りもお迎えとか、そういう考慮はできるだけ学校側と話し合って娘の体調と照らし合わせながら1年を過ごしていました。
でも、
2年生になって、やっと学校へ行けるようになってから数日後
『わたし、ひとりで学校へいきたい。○○ちゃんたちとは行きたくない』
と私にいうのです。
娘は同じ学年の女の子と一緒に朝は行っていたのですが、突然の申し出に私はびっくりしたのです。
どうしてだろうと、本人の言い分を聞きました。
●一緒にいっても途中から走っていくから置いていかれる
●私も走ってみたことは何度かあるけど追いつかない
●1年間最後まで(学校まで)一緒にいったことはない
●とにかく歩いていきたい
この4点でした。
ここまでは娘の言い分だから、うん、うん、と聞いて、だから?とかそれ以上の発展した話はまだ聞きませんでした。
そこで、一緒に行っていた女の子のお母さんにそれとなく話をもちかけ
その子とも話してみました。
その子の言い分は
●とにかく早く学校へいきたい
●○○ちゃん(娘)は足が遅いから一緒に行きたくない
●今まで最後まで一緒だったことは一度もない
でした。
そこで、私は困惑するお友達のお母さんに、両者とも一緒にいきたくないんだから別々にいかせませんか?と提案しました。
あえて、足が遅いから、と娘のことをそういう視点でとらえた理由は取り上げませんでした。
だって遅いのは本当のことだし、学校という小さな社会でそういうことは今までもこれから先も山のようにでてくる。
小学生あるある、だと私が判断したからです。
でも娘にはいいました。この申し出の前に、実は体育の時間にかけっこで足が遅いと野次が飛び交い、砂をなげられた、という話をきいたばかりなので、話す必要があるなと思って。
『あのね、足が遅い人がいるから、速い人がいるんだよ。 遅いって言われてどう思ったの?』
『嫌だなって思った』
『そうだね、嫌だよね。 でもよかったじゃない。そんなこと言われたら嫌だなってわかったんだから。速いこは、自分より速い子がこれから現れて、おそ、とか言われた時にしか、いやだなって思うことができないんだよ。
もし大人になってそういう思いを知ったときに、今みたいに、お母さんお父さんから、そうだね、いやだったね、って気持ちに寄り添えなかったからそれもかなしいよね。
だから今、嫌だ、って思えたことはいいことだよ。』
そう話しました。
娘は、運動はとても苦手です。走るのも遅い、飲み込みも遅い。要領が悪い。
でも、運動は嫌いじゃない。好き、といいます。
だから遅いなりに、要領悪いなりに向かい合う。
時にそれがじれったく、クラスのお友達からも、まだやるの?できないじゃん、って言われることもあります。
それでも、うん、いいや、これでいい、って思える瞬間までは頑張ろうとする。
それが娘。
娘は今、違うお友達を見つけて学校までの1時間の道のりをいっているようです。
途中誰も見つけられなかったら一人でいくこともある。
でもいいよね、ちゃんと学校へいけてる。
そんなすったもんだがありました。
私のお友達からも、登下校に不安は沢山あるだろうけどいい経験だよね。心も体も大きくなるよ、と言ってもらえて、私も救われました。
そんな波乱から始まって、今日は家庭訪問でした。
先生、ざっくりするくらい、いやもう顔あわせっぱなしなのでこれと言って
これお願いしますとか、あれはどうですかとかいう点はなく
テレビの話とか、インテリアの話をして終わった・・・笑
15分の持ち時間だったのに、40分居た・・・
これって最終日の最終だからできるんだよね。笑
強くあれ、とは娘には言えない、弱い母親です。
でも、これでいい、これでいいんだ、私は私だからいいんだ、と思えることが大事なんだと伝え続けていかなければいけないと思ってます。
そして私も同じ。
あなたが素晴らしいのは、あなただから。
わたしが素晴らしいのは、わたしだから。
まさにこれなんだなっておもいました。