娘が、てんかんの疑いがある、と診断がくだってから直ぐに小学校側との話し合いを設けてくれました。
先生方もお忙しいのに、わざわざ集まっていただいて。
担任の先生、学年主任、教務の先生、教頭先生、養護の先生1人(2名在籍のうち)と、私でこれまでの情報共有と、これからどうしたいのか、どんなことが困っているのか、どういうことをサポートできるのか、とかを話し合いました。
まず最初に問題にあがったのが、病名を公表するか否か。
私は隠す必要はないと意見しました。
話したほうがもしもの時に、助けになったり、正しい方法で接することができるからという理由です。 勿論、公表することのデメリットも私なりにありました。
色々と話した末、まだ1年生で先生が話したとおりに理解してくれるかどうかは個人差があること、そしてそれをおうちの人に伝えたとき、どんな風に伝わるのかが検討がつかないこと、なによりもまだ、娘本人が、てんかん患者であるという認識がないという理由から、公表をせず、体調不良で、定期的に病院へ検査にいっていること、毎日薬を飲んでいることだけはクラスで話す方向へ。
まぁ勿論2度も救急車で運ばれたわけですから、みんな具合が悪いっていうのは理解していてくれて、何人かの保護者からは「運ばれたって本当?大丈夫?」と直接のコンタクトもあったわけです。
いつまで、いや、いつどうやって、てんかん、という病気に向き合うかはまだ未定ですが、主治医の先生とわたしたち夫婦が娘に伝えたことは下記の通りです。
【救急車に乗らなくていいように、からだがもっと元気になるように毎日これから薬をのむよ。元気のくすり。そしてこの薬がちゃんと体の中で頑張っているかどうか、注射して調べてくれるよ】
娘は、真っ直ぐ受け止めました。
だから、うん、わかった、げんきになるように薬をのむね、とその日から毎日欠かすことなく飲んでます。
もう少し大きくなって、もう少し病気への理解が示されるようになったら
きちんと向き合っていく過程で話をしようと思っています。
娘のクラスの保護者で夏前に親睦会(所謂飲み会ですが)があったときに、ひとりずつ自己紹介をしました。私はその当時、娘の体育の授業は一緒に参加していたので、その旨を話しました。
「お子さん方を通して、娘が体調不良のため定期的に検査をしていることは知っているかもしれません。無理のないように、という学校側の配慮もあり、お子さんたちと一緒に体育の授業を受けています」
そう話すと、いいなぁって、第一声がそれでした。
お父さんだったんですけどね、そのいいなぁ、が。
だって我が子の成長やこの子達の毎日を間近で見られるんでしょ?
いいなぁ、ですって。
シャトルランも、水泳の時間も、運動会の妖怪体操第一もしっかり一緒にやったり、
たまにお昼休みに招かれて、一緒に遊んだりもします。おかげでうちのクラスの27名全員顔と名前が一致するし、向こうも、友達のように接してくれるし。
時間は拘束されますが、悪いことよりもむしろ学校の中身が見えていいなっておもいます。学校側として、どれだけの活動量をしているのか把握して欲しい、という願いもあるそうです。
でも、日中こんな風に小学校へ付き添いがあったり、夜は夜で私の仕事が入っていたり、そりゃ私も体調崩すわけです。でも万年母子家庭のような環境のわたしたち家族で私が倒れていてははじまりませんからね。気合です。気合。
公表する?しない、はきっと家族によって違うと思うし、その都度話し合っていくべきデリケートな部分なのでしょう。
私は気心しれている幼稚園で知り合ったお友達には包み隠さず話しました。
2度目の発作のとき、もう凹みすぎて病院から帰る気力のない私が勇気を振り絞って、助けを求めたのはその皆だから。
いつかちゃんと娘とも話せるといいな。
きっとあの子にも必要なことだから。