2015年1月。


素敵な1年になるようにと皆が願っていることと思います。



ちょうど1年前の2014年のお正月、私も同じことを思い、願いました。


【どうかいい1年でありますように】


そう手を合わせ、春には小学生になる娘とそう願いました。






いつだって突然。






小学校へ入学してひとつきもたたない、4月下旬のこと。

1本の電話がなりました。



『1年○組担任の○○です。おかあさん・・・』







いつだって突然。

予兆があったのなら運命は変わっていたのかな?

それとも、もっと早くに気がついていれば・・・






娘は学校で意識消失し救急車で運ばれました。

最初は、慣れない小学校生活で疲れているのだと思いました。

だって血液検査にも異常はないし、今までこういうこと一度もなかったので

経過観察でいいんじゃないかということでその日は帰宅し、

翌日は保健室の先生のアドバイスもあって、かかりつけの小児科を受診し

経緯を説明して、やはり同じことを言われました。 いままでなにもなかったもんね、疲れかもね、って。





何事もなくGWを過ごし、遊び倒した休日。

そしてその、突然は、GW明けの学校で。




さすがに2度も救急車で運ばれることもあり精密検査を進められ、予約をいれその1ヵ月後に全て出揃った結果は、



『てんかん、と疑われる波形がみられる』



とのことでした。






そう診断が下ったのは、娘の7歳の誕生日。2014年5月28日。

そしてその日から内服による治療が始まったのです。






これまで、何らかの形で今までのことを残すべきなのか考えていました。

勿論手記として、手帳に体調その他諸々、お薬のことは記録しているし、

学校側との連携のこと、担任の先生からの電話等、全て記してはいるのだけれど

特別、こうやって外部に公開するという形で何かを残すことに対して葛藤がありました。





もしかしたら違うかもしれない。

もしかしたらなにかの間違いかもしれない。



そんなことをずっと、ずっと、ずっと私も、主人も思っていたのです。

そしてその思いはまだ現在進行形でもあります。


だからこそ



何かに書き残すことに抵抗がずっとずっとありました。




でも



何気に孤独なんですね。

見えない障がいというか、情報を共有することも、誰とすればいいのか

こんな時はどうしたらいいかっていうことを、親目線だったり、低い目線で

話をする時にとても孤独なんです。



そんなときに、同じように7歳の娘さんをもつ、同じ病状だといわれている方のブログを見つけて目にした時

小さなきっかけを貰ったような気がします。





もしかしたらいつかお薬を卒業する日がくるかもしれない

もしかしたらこのまま発作がない平穏な毎日がすごせるようになるかもしれない




そんな期待を胸に娘とわたしたちの日々是精進的なものを残せたらいいなと思ってます。



勿論実際に私たちをご存知の方は、くだらない私たちの毎日をLINEやFB等で知ることはできるでしょうけれど

ここは娘が、彼女が、ひょっとしたら大人になってひとりで病院へいくときに役立てるように、変化やその日々を綴れるような場所にできたらと。





3月26日はパープル・デイ。

国際的なてんかんの啓発活動の日と定められています。

パープル、紫は孤独を表す色。


【あなたはひとりぼっちじゃない】


そんな強いメッセージと共に、ご挨拶と代えさせていただきます。