その人とは私も手術の後に同じ病棟の病室の各ベッドに並んで寝ていました。

    『手術後肝臓が悪くて3年間も退院が出来ないで居るんだ。』でした。

    『 肝臓がウイルス肝炎とかですか?』と、私は尋ねました。      『ハッキリとした事が私にも解らないけれど肝臓の検査で正常値の値が出ないんだ。』との答えでした。

    で、『ウコン茶やしじみのみそ汁を飲んでみては?』と、提案しました。

    『早く復帰しないと、そうしないと勤め先の会社から退職勧告を受けそうだ。』と云われている。との事でした。

    奥様が来た時にウコン茶やしじみのみそ汁飲んでみては、とやはり勧めてみた。

    切羽詰まって居たようで、それから毎日しじみのみそ汁を持って来られる様に生って、1週間で数値が下がって、退院出来そうだとお礼を云われました。私は先に退院して定期検査で翌月病院に行くと、本当に退院して通院に生って退院後初めてのお薬貰うための検査に来たと偶然にもお会い出来たのでした。

    『ウコン茶も最近飲んで居てしじみのみそ汁も1日2回飲み続けて居るから今日も数値が安定している。』との事でした。

    何気無く言った事が人の為に成り会社も変わらず行けて居る様でした。この時私は21歳でした。その方は44歳でした。働き盛りの筈でしたから、『家族にも金銭とお仕事の無くなる危機の心の負担だった。』自販機のヨーグルトを私にくれて『ありがとう。』を力強く言って貰えました。

    それからは会ってはいませんでした。

    その手術前入院で血を増やしてから十二指腸潰瘍の手術をする。トータル55日退院まで掛かってしまいました。入院中にある人は手術した翌日の夜にロープで抜け出してお酒飲みに行っちゃった人が居て、翌日医院長にその人は『命の保証もう出来ないから出ていくか?』と、その人は云われているのを聞いて居た。良く手術の次の日にロッククライミング出来たんだろうと、凄い人だと思いました。

   他にも、千葉県栄町の土木建築会社の会長さんが入院していて私が手術前だったので同じ病室の方々の新聞や雑誌を買いに行って欲しい。掃除は私達がしてあげるから行って来てと頼まれ私の日課に為って居ました。

     何かにつけて変わりに買いに出掛ける病院内の売店は無いところだったのである程度出入りが緩やかな病院でした。

    ある人は競馬新聞ある人は週刊誌、ある人は普通新聞とスポーツ新聞の2組、ある日とは都こんぶ買って来てやある日とはグリーンガムを頼まれて早朝駅の売店まで私が買いに出掛けて居ました。私が一番若かったからでしたが。タバコ吸う人将棋したり囲碁したり看護師さん達に色々触ってちょかいを出す人ばかりで、先生が飛んで来たり婦長が来て、『大人で患者なんだから悪さはしないで下さい。ここには患者は居ないの?!』でした。そう患者が居るような雰囲気では無くて、明るい笑顔の多い病室でした。その会長さんが居るからそんな雰囲気でリーダーシップや親分肌な発言で笑いが絶えませんでした。『社会へ出たらうちの会社へ来ないか兄ちゃん。』でした。

    結構色んな所から向島や亀有や吉川や私は三郷や千葉県の我孫子や松戸市や栄町の人達の大部屋でした。そこの医院長がガンの権威中山先生の弟子で千葉大学病院の教授が1番弟子で、そこの医院長は2番弟子だった様で、先生が病人を待つスタイルの検診では無くて患者さん達がカーテで仕切った所に居て医院長が回って歩く外来診療でした。

    外来初診は、問診票に書き込んで、その次は、看護師さん達2人で追加問診。検査の種類を伝えられて、次回検査と云われない人達は、検査の流れ作業と身体検査と機械検査や採尿再検便血液中検査を仕手から、カーテンでしきられた中に、簡易ベッドに膝を立てて寝て待つ。長く待つがいつもでした。

    そんなところでした。

    2024年2月9日    鵜ノ澤 明良