およよんです~*^^*

※ハンドルネーム「およよん」の理由はプロフィールに書いてみてます

 

さてさて、先日50歳の

お誕生日を迎えた記念に

プロフィールよりももうちょっと

詳しく、私の過去の体験を

綴ってみようと思います。

 

 

************

重度知的障害の長女と、

次女、長男の3人の子どもの

ワンオペ育児真っ只中に私、

 

夫の借金3000万円を全額返済した

 

ところから、"意味不明な感じ" で

モラハラ化した夫に対して

カサンドラ妻に陥らないように(?)

経済的自立の手段も手に入れて

現在に至る!!!という

なかなかワイルドな超実話

************

 

 

を、楽しく書いていけたら~

って思いますので、どうぞ

お付き合いいただけると

嬉しいですっ
 

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「おかしいな、ここ最近ちょっと生理不順かなぁ」

 

 

私およよんが大学3年生になり

4月下旬に差し掛かる頃、

自身の体調に "わずかな異変" を

感じました。


それは、ふと気づくと、

生理がまるっと1か月以上

来ていなかったんです。

 

でも、、、それ以外は

健康優良児(?)だったので

特に気に留めることもなく

バイトもサークルも楽しくて

大学の友達や、彼氏もいたので

よく皆で一緒に遊んでいました。

 

勉学はどうした?って感じですが

それは大目に見てあげてくださいw

 

神戸にある私の実家から

電車で通える大学だったので

自由な生活をしていたことを

両親に感謝する恵まれた環境でした。

 

 

ところが、です。

 

 

3年生の前期がそろそろ終わる

7月になったあたりだったでしょうか。

 

私およよんは、なぜか急に

太って来たのです。

 

今まで履いていたジーンズが

急にきつくなり、履けなくなりました。

 

えー、どうしてだろう・・・

なんだか喉も乾きやすいし

ご飯も確かにちょっと多く

食べちゃってたかも、、、

 

そんなことを、

ふと仲が良かった友達に

相談してみたところ、、

しばらく言葉を選んでいたのか

うーん、とか、そうだね、、とか

相槌を打っててくれた彼女は、

 

 

「・・・・・・・およよんちゃんさー、まさかのまさかだけど、生理、ちゃんと来てる?」

 

 

と、すごく言いにくそうに

言いました。

 

途中まで吸っていた彼女のタバコは

ぎゅっと灰皿に押し付けて

急いで副流煙が私に飛ばないように

めちゃくちゃ気を遣ってくれた感じで。

 

その後の展開は、

ここまで書いた時点で

あなたにもなんとな~く

伝わるのではないでしょうか。。

 

そうなんです、この時点で

 

  • なんと...妊娠6か月目だった
  • 大学は退学することに
  • 当時付き合っていた彼氏と結婚することが1週間で決まる

 

と、大学3年目の夏休みを

謳歌するつもりだったのですが、

私およよんはあっという間に

結婚と子育てが同時に

始まることになったのです💦

 

いわゆる授かり婚でした。

 

そして、

その当時とてもラッキーだなと

思ったことが1つあります。

 

それは、なんと夫となるその人の

実家が資産数億円あった家柄だったこと。

 

彼の名前を、、そうだなぁ、

ハンドルネーム「リッチー」に

しておきましょうかねw

 

今から30年前の話なので

最早笑い話なのですが、

 

「嫁は格下の家が良い」

 

とまで義母から言われました。

 

が、当時は色々切羽詰まってて

それが褒められているのか

けなされているのか・・・

若かった私はよくわかりませんでしたw

 

そして、その夫リッチーというのが

そうです、のちの事業失敗で

借金3000万円を背負い、

モラハラ・パワハラ化するその人。

 

借金3000万円伝説(?)が起きるのは

この時点から数えて15年先のこと(-_-;)

 

人生、何が起きるかわかりませんよね。(しみじみ)

 

そ、れ、で、、

時間軸をまた結婚直後に

戻してもう少しだけ話を進めますね。

 

冒頭でも触れましたが、

そんな風に超ドタバタで結婚して

なんとか結婚生活が始まったわけですが

すぐに私の出産時期がやってきます。

 

若い時に出産したのは、

私にとってはよかったかもしれません。

 

陣痛も短くて、あっという間に

第一子の娘は安産で生まれてきて

両親や義理の両親も皆、

初孫の誕生を喜びました。

 

この頃は、双方の両親の援助で

生活が成り立っていて、

金銭的な不安もなく、生活できたことは

本当に感謝だなと

時間が経てば経つほどに思います。。

 

ところが、徐々にオカシイ?と

思うようになります。

 

育てやすすぎるのです。

 

赤ちゃんなのに娘はあまり泣かないし

自分から何か意思を示すことが

極端に少なかった。

 

だから、産後の床上げまでも

しっかり夜も休むことができたおかげで

産後の体調もすぐに回復できたことは

本当にありがたかったのですが、、

 

初めての育児でも、

 

 

「あれ?」

「赤ちゃんって、こんなに手がかからなかったっけ?」

 

 

と、そんな我が子の異変にさすがに気づき

生後3か月目の乳児検診の際に保健師さんに

相談したことをきっかけに、その後、

娘の重度知的障害が判明するのでした。。

 

ちなみに、この頃、

夫リッチーとの描写をこの記事の中に

ほとんど書けないのは・・・

 

私、夫との会話を

全く覚えていないからなんです(-_-;)

 

ちなみにリッチーくんは、

父親が上場企業の役員でした。

だから夫は大学生なのに、

 

  • 毎月10万円以上のお小遣いは当たり前
  • 外車乗り回す
  • 家にはお手伝いさんがいる

 

という、絵に描いたような

ボンボンでした。

 

重度知的障害を持つ娘の育児は

「生きてるだけで丸儲け」という

あの明石家さんまさんの言葉が

とても勇気づけられるような経験だった、

と言えば、なんとなくその度合いが

あなたにも伝わるんじゃないかと

思います。。

 

1年間は残りの大学生活を楽しんだ

夫リッチーは、無事に大学を卒業して

ちゃんと東京の会社に就職できたので、

 

なんとか実家から独立して、

神戸から、ベッドタウンの千葉県に

家族3人で引っ越しをして、

やっと本格的な結婚生活を

営めるようになります。

 

その後、上の娘が3歳をすぎた頃に

下の娘も生まれました。

 

しかし、その頃から上の娘の行動が

ひとときも目を離せなくなり、

下の娘の育児もあって急に育児が

大変になっていきます。

 

「育児の大変さ」の度合いというのは

人それぞれの感覚や尺度なので

なかなか比較しづらいとは思います。

 

我が家の場合は、例えばですが、

夏の暑い時に、私が「一瞬だけ...」と

シャワーを浴びて汗を流している、

ほんの1分とか2分の隙に、

 

上の娘はひとりで玄関の鍵を開けて

パーンと外に出てしまったことも

ありました。。。

 

シャワーから上がって、
リビングに戻ると下の娘しかいなくて
玄関の扉が開いていて...という状況。
 
「上の娘は!?!?」
 
と、私はサーッと血の気が引く思いで
その時たまたま大きめのバスタオルは、
身体に巻いてはいたのですが、、、
それ以外は "パンツ一丁" の状態で
 
自宅に面した道路まで飛び出して
娘を探したこともあります。

 

近所の人にも、なんとなく

うちの事情は伝わっていたので

幸いにもこの時は、近所の人が、

上の娘がひとりで外を歩いているのを

 

「なぜこんなに外が暑いのに、ひとりで歩いているの?」

 

と気づいてくれて、超ナイスタイミングで

保護してくれたんです。。(超感謝)

 

この頃、こうやって

ハンディキャップのある上の娘と

まだ乳飲み子の下の娘を同時に

育児することは、大変でしたが、

 

なんと表現したらいいのかなぁ、、

 

当時は学生結婚の勢いのまま

私はずっと専業主婦をしていて

夫の稼ぎで生活していたので

※まだ実家の援助もちょっとあった

 

育児は自分の役目だと

思っていたんです。

 

だから、ワンオペ育児で当然だと

思っていた節もありました。

 

そのため、専業主婦で過ごす時間は

この先ももう少し続きます。

 

 

・・・少し時間軸を進めまして

上の娘が9歳、下の娘が6歳の時に

息子が生まれました。

 

この時までは、ホントに、

なんとか「家族」というのを

一生懸命やっていたと思います。

 

夫リッチーは、サラリーマンの

出世コースに乗れたようで

年収1000万円を超えるところまで

稼げるようになっていました。

 

今思えば、商社という業種と

上司に恵まれていたと思います。

 

家族5人で、会社から

住宅手当も出ていたので

 

【上の娘の福祉のために】

 

と千葉から引越した東京都内でも、

十分に暮らしていけました。

 

ところが、青天の霹靂というのは

何の前触れもなしにやってくるのです。

 

ある日のこと。

 

夫のリッチーはある日の晩に、

会社から家に帰ってくるなり、

開口一番、

 

 

「俺、会社辞めるから」

 

 

と言うではありませんか。

 

 

「え?どうしたの?」

 

 

と私は驚いて聞き返すと、

 

 

「起業する」

 

 

とのこと。

それ以上話をする余白もなく

リッチーはバタバタっとお風呂場に

行ってしまいました。

 

 

「起業って?何を?いきなり?」

 

 

私は、夫の爆弾発言に驚き、

今後のことが心配になりました。

 

あとから思えば、こうやって

私たち夫婦の会話というのは、

 

コミュニケーションを取って

お互いの意見を出し合うのではなく

一方的に夫が自分の言いたいことを

私に言ってきて、それで終わりってなる

パターンがめちゃくちゃ多かったと

気づきました。。

 

そして、結果的には、

かなり「はしょる」ことにしますが

 

起業からわすか2年で、

夫リッチーの創業した会社は

業績不振で倒産します。

 

そもそも、夫は

何の業種で起業したのかすら

私およよんは最後まで

よくわからないまま💦

 

携帯のフランチャイズがどうの、と

言っていたとは思うのですが、

家に仕事を持ち込むことを

極端に嫌がる人だったので

途中経過が全くわからないんです。

 

法人での借金は、

うまくやれば返済しなくても

よかったりするらしいのですが

 

それだけじゃなく、

夫はサラリーマンからの起業で

何の実績もなかったので、

夫は会社で借り入れたお金の

連帯保証人になっていたことが

あとから判明しましたorz

 

そして、まるで絵本みたいに

次のページがめくられたら

 

 

「会社はなくなり、

なんと3000万円の借金だけが

残りましたとさ。。。ゲローゲローゲローゲロー

 

 

みたいな描写になったような状態で

(なんでやねん)

 

その当時で、結婚から

ちょうど15年が経過していた時期で

今から振り返るとちょうど15年前の今日(真顔)

 

上の娘が特別支援学校(高校)に

バス通学し始めて、そろそろ夏休みに入るから

学校にも慣れて来たよね~という頃で

 

さらには、

下の娘も私立中学に通い始めて

我が家は子どもたちの成長にあわせて

教育費も貯めていかないとな~と

なっていた時期のことでした。

 

なんなのよ、もうって感じで

運命を感じながら

この【第1話】書き進めていますw

 

通勤すべき会社がなくなり

元々勤めていた商社にも戻れなくて

毎月40万円ずつ返済して、

10年以内にお金を全部返さないと

いけないという・・・・・・

 

金利なんかを計算したら

マジで落ち込むと思って、あえて

細かく見なかったのですが、

 

40万円毎月返済×10年、その事実だけが

我が家に重たくのしかかりました。

 

夫リッチーは廃人化しまして、

ぷちうつ状態で、無職になった初日は

朝起きることができませんでした。

 

私は子ども達を抱えて、

しかも次女は私立中学に

進学したばかりだったので

「どうしようどうしようどうしよう」と

マジで悩むのですが、、、

 

 

「会社が倒産したのは、オマエが悪い」

 

 

と、朝遅く起きてきたくせに、

ヤツは、なぜだかイラついた雰囲気で、

私にそう言ってきたのです。

 

 

はぁ?

仕事を何も手伝っていなかった私が、、

そもそも起業するって事前に何も聞いていない私が、、、

なぜ、悪者にならなきゃいけないの(~_~メ)

 

 

 

つづく

 

 

次回は、

人生最大のピンチの大嵐の中で

なんとか子育ての時間をやりくりして

パートに出て働き始めるのですが、、、

 

もう、どうにもならなくなった時に、、、

 

【第2話】不動産転売と遺産で借金3000万円全額返済!その時夫は信じられない行動に(;´Д`) に続いちゃいますーーーー!

 

 

 

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