①久大本線4日間の旅(1日目 熊本ー大牟田ー久留米)

 

久大本線に乗る旅をしました。

と言っても、久大本線に乗るのは2日目からです。

1日目は鹿児島本線・熊本駅を出発して大牟田駅で途中下車、世界文化遺産の三池炭鉱を見学して久大本線始発駅の久留米駅まで移動します。

 

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今回の旅は、ここ熊本駅からスタートします。

 

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駅前をドーナツ黒棒のラッピング電車が通過しました。

美味しいですよね。

 

熊本駅内郵便局で旅行貯金をして、風景印をゲットします。

 

局内はくまモンがソーシャルディスタンスをキープしています。

妻はくまモンのうちわを貰い、ご満悦です。

 

風景印は「N700系新幹線」と「くまモン」でした。

この組み合わせはうれしい!

 

6番ホームは、SL人吉のホームだったんですね。

 

今日はこのホームから、先ずは大牟田駅を目指して出発します。

 

田原坂を通過

高台にある公園は桜🌸の名所です。

 

 

 

動態保存最古参だったSL人吉。本当に長い間、ありがとうございました。

出来たら、また復活しますように願っています。

 

 

 

 お昼に、駅前の東洋軒で、大牟田ラーメンをいただきました。

 

野生的な豚骨の味でした。

 

市内線のバスで 宮原坑と三池炭鉱専用鉄道の廃線跡を見に行きます。

 

早鐘眼鏡橋停留場で下車して、

三池炭鉱専用鉄道の廃線跡を歩いて宮原坑まで行きます。

この廃線跡は宮原坑と万田坑を通って三池港まで続いています。

平成9年の閉山後も炭鉱・鉄道・港湾が一貫した線上の炭鉱産業景観の残存状態が評価されて世界文化遺産に登録されています。

 

黒橋は古いレールを使用して作られているそうです。

鉄道線路は車道とできるだけ立体交差するようにしてあり、輸送効率をあげていたそうです。

 

レンガ積み橋脚の小さな鉄橋がありました。

この鉄橋は当時のままなのでしょうか、枕木の跡が見えます。

  

宮原坑の竪坑やぐらが見えて来ました。

高さは22mあり鋼鉄製としては日本に残る一番古いものだそうです。

 

変電所の廃墟もそのまま残っていました。

 

 

 

坑内の地下水を汲上げて流していた排水溝の跡

 

宮原坑に着きました。

宮原坑には当初竪坑が2坑ありました。

現存するのは第2坑の建造物群です。

 

ガイドさんに説明をしてもらいました。

話が面白くて、よく理解出来ました。

三池炭鉱は日本最大の炭鉱として、明治以降の日本の近代工業化を支えていたそうです。

宮原坑はその中でも明治の開坑当初から昭和初期まで年間40万トンを出炭した主力坑だったそうです。

 

明治34年の完成当初は、更なる深部への採炭を目的に、地下水を汲上げて排水することを主目的とした坑口だったそうです。

当初世界最大級の馬力を誇ったデビーポンプの建屋内壁が残っています。

デビーポンプとはイギリス・デビー社製の蒸気機関の排水ポンプと言う事だそうです。

第1坑と合わせて最大680馬力(揚水量11t/分)のポンプを4台据え付けていたそうです。

建屋のレンガの積み方はイギリス積みだそうです。ほかにフランス積みがあるそうです。

 

イギリス積みの断面

どこにも継ぎ目が重ならないようになっています。

 

これは、デビーポンプの後継の水中ポンプの排水管

 

排水溝跡、良く手入れされた緑が気持ち良いです。

 

 

 

炭車

 

巻揚機械建屋は耐震補強工事を施し、昨年8月に内部に入れるようになったそうです。

 

巻揚機用のモーター

開坑当初は蒸気機関で回していたそうですが、現存しているのは電気モーターです。

 

地下とはベルで合図していたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

160mあった竪坑の跡

コンクリートで塞がれています。

 

石炭や物資を坑内に昇降していたケージ
中に入れました。

 

炭車はケージで竪坑を引き上げられたあと、このレールで炭鉱鉄道まで移動しました。

 

つるべ式クレーンのもう片方のケージは、竪坑から取り外されて置いてありました。

 

大きな資機材の昇降には、ケージを取外し、この滑車にワイヤーを張るのだそうです。

 

やぐら上部に人が登り、人力でワイヤーを掛けていたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

炭鉱鉄道線路跡

 

 
 

 

 

 

 

一旦、大牟田駅まで戻って来ました。

今度は三池港に向かいます。

駅の西口には路面電車が静態保存してあります。

昭和27年まで市内を走っていた電車だそうです。

電車内はCAFEになっていました。

 

石炭産業科学館

 

 

 

三池炭鉱の古地図

 

三池港閘門の模型

 

ダイナミックトンネルの入口

内部は現代では降りることのできない地下400mの坑内の世界が再現されています。

 

ケージに乗って竪坑を降りていく演出はリアルです。

期待感、ワクワクです。

 

降りていく演出中に流れる映像が期待感を増します。

 

模擬坑道内部には近代の採石機械が展示されていました。

 

コンティニアンスマイナー

 

ホーベル

 

電気機関車と炭車

 

ロードヘッダー

 

 

 

自走枠とドラムカッター

 

 

 

 

 

いずれも実際に動き、効果音が流れるので臨場感があります。

 

珪化木

石炭は約4,000万年前のメタセコイヤの群生が折重なり何層にも堆積し圧縮されたものですが、これは1本の木の化石。

断面の年輪が綺麗です。

 

 

 

 炭鉱鉄道

 

 

 

博物館の方に「次は三池港に歩いていく」と話したら、

「普通の車道を歩いても面白くない」のでと、諏訪川沿いの近道を案内されました。

諏訪川フットパスと言います。

 

有明海を望む

遠く6km沖に浮かぶ、人工島の三池島が見えました。

海底地下坑道の通気坑です。

 

諏訪川沿いを歩いて行きます。

有明海は干満差が5.5mあるそうです。

今は干潮なのかな?

 

振り返えると2km先に浮かぶ人工島の初島が見えました。

三池炭鉱には筑豊地方の炭鉱と違いボタ山がありません。

ボタも鉄道で有明海まで運び、ここら辺一帯を埋め立てたそうです。

 

炭鉱鉄道廃線跡の通称ガタガタ橋

 

三井港倶楽部
明治41年の三池港の開港にあわせて建設された三井の迎賓館。
現在はレストランや結婚式場として利用されています。
 

 

 

正面には創立者・團琢磨の胸像
「石炭山の永久などということはありはせぬ。築港をしておけば、そこにまた産業を興すことができる。いくらか百年の基礎になる。」
三浦港の閘門は100年経った今でも現役で可動しています。
さすが、将来を見越した投資です。
 
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中を覗いてみます。

 

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三川斜坑跡入口

本格的な海底採炭を目指して掘られた戦後の最主力坑です。

大斜坑と呼ばれていましたが、現在は第2斜坑が斜坑口から20mが残されているそうです。

炭鉱電車も移設保存されているそうですが、17時間00分を過ぎて閉まっていました。残念です。

 

三池港展望所からの眺め。

三池港はその形からハミングバード(ハチドリ)と呼ばれています。

胴体部分の内港と尻尾部分の船渠(ドッグ)、それらを区切る閘門と、奥にはクチバシ部分に当たる砂防堤が長く延びているのが見えます。

11月と1月には真正面に日が沈むそうですが、その時期には100人規模でアマチュアカメラマンが並ぶそうです。

見てみたいです。

 

船渠(ドッグ)内部

 

 

 

三池港は三池炭鉱閉山までは三井企業の所有物でした。

閘門の機械建屋には今でも三井のマークが見えました。

 

覚えました。イギリス積みです。

 

珍しい、電話ボックスがありました。

今どき、誰が使うんやろ?

 

 

 

 

 

 

 

内港側から船渠(ドック)を望みます。

中央に閘門が見えます。今日は開いています。

この閘門により、干満差が5.5mある有明海で干潮時でも8.5mの水深を保ち、船渠(ドッグ)内では1万トン級の大型船の荷役が出来ます。

閘門の両側に見えるスルースゲートは船舶通過時の潮流緩和の目的です。

内港と船渠(ドッグ)の建設には、炭鉱のボタで埋立てた後を、延べ260万人を動員して人力で掘り、護岸から底盤に至るまで花崗岩の石積みで作られているそうです。

また、長く延びる砂防堤も自然石の空石積みで作られているそうです。

この内港から島原港行きの高速船に(約1時間2,300円)が出ています。

それに乗ってハミングバードを内側からじっくり見てみたいです。

 

大牟田市庁舎

中央部に塔屋を持つ左右対称型は、昭和初期の典型的な官庁建築

 

久留米駅に到着

 

ホール天井のステンドグラスは圧巻です。

九州最大河川の筑後川をモチーフにした60mの作品。

 

こちらはカラクリ時計

東洋のエジソンと称される、江戸から明治の発明家・田中久重の業績を讃えるため、誕生200周年に、久留米市制施業100周年記念事業として設置されたそうです。

田中久重は東芝の創業者です。

ちょうど正時が近づいたのですが、カラクリ時計は19時までで見れませんでした。

 

( 1日目終了)