感情には様々な種類がある。
この感情についてをひとつひとつ詳細に考察することでおおよその機構を理論として把握し、不必要なときに抑え、また必要なときに引き出すことができると考えた。感情概観として一つの感情についての考えがまとまったときに記し、集積していくことにする。
焦燥感という言葉がある。この焦りという言葉は生き急ぐ精神とも言い換えることができる。焦りがあるからといって必ず何かを素早くこなせるわけではなく、しかし何かを素早く行おうとする動機として働くことがある。焦りばかりが募って空回りしたり、かえって状況を悪化させたりしてしまうこともあるかもしれない。もちろんその反対の結果も多いにあり得る。
この焦燥感を行動の側面からではなく他の感情で言い表すことは可能であるかと考えた。私は精神活動を一つ一つ想起していく中でふと適切な語が一つあるように思えた。私は焦燥感とは畢竟、不安のことであると結論付ける。もしも他者あるいは自らがこの先も変わらずそう思うのであれば、今度は不安という言葉に付随する行動の側面を考えてみれば、また焦りについても理解を深めることができるだろう。
不安は根拠の伴う状態と伴わない状態に分けることができる。根拠とは過去の行動に由来して何らかの結果が起こるときの行動のことを意味する。よって根拠のある不安とは過去の自らの行いについてどのようなことが引き起こるのかについての推測によって起こるといえる。このどのようにも可変する未来についての推測は、自らあるいは他者が不確実性の高い行動をとり、またその行動と共に将来の見通しの不透明さについての諦観の欠如を抱くことによって引き起こされる。
根拠の無い不安を抱いた状態を考えるときに先述した不確実性の高い行動を引けばいいとわかる。すなわち将来の見通しの不透明さについての諦観の欠如からくる推測、それを根拠の無い不安と言い換えても差し支えはないはずである。
追記:
そして、実践的に焦燥感を用いるときの話をするのであれば何に不安を抱くかについてを自らが決めればよい。この焦り=不安の機構は不安を諦観あるいは行動によって取り除こうとする状態であり、何について不安を抱くかを選択することによって自らの行動をコントロールできるはずである。また不適切な行動を取りそうになったときには諦観を抱けばよい。