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 開かれた日記帳が簡素な机の上に置かれており、そこには何かを取材した後のようなコンクリートの壁の写真が貼り付けられていた。


 その是非を問わず、いつから自分はこれほど感傷的な人間になってしまっていたか、それを疑問に思う。思えば、広く何かを知ることは楽しかった。しかしその楽しさ以上に後悔が勝る。時間をいたずらに使い込んでしまった。この世界は自分の狭い認識に隔てられ、上から下までその果てを自分は認識していない。そのように若くして気づいたことも今となっては間違えていたか間違えていなかったのか。
 自分が何も知らないことに気づいてしまったから都内でまったく分野の異なった複数の仕事につき、インターネットを使って多くの人の本音を探った。そんなことばかりしていたら、いつのまにかに世間知とよばれる範囲で知らないことはなくなっていた。この世界の上も下も知り尽くしたあと、今の自分が後悔していないと言えば嘘になる。
 
 壁は崩れてしまった。
 またこちら側に戻ってしまった。
 ニヒリストの世界から以前の自分の世界に戻ってしまった。

 感傷的になる前の自分は受験のことしか考えていなかった。そしてその受験というのも、一億総中流という夢の残骸に自覚もなく酔いしれて、よい仕事につき、よい家庭を持つ程度の目的のためであった。行き過ぎた勉強もその夢にどれほどの余裕をもって挑めば分からなかったから行ったのである。

 自分をどのような人間であるのかと語るよりも以前、自分はどのように過ごしてきたのか、過去を淡々と記述したほうが自分という人間はより明白となって現れる。一つや二つの言葉で自分の世界観を表現しようとしたところで客観的な過去の記述以上のものになるはずもない。これから生きる自分という存在は常に不確かで、過去の自分のみが常に確かである。

 それでも私はあの門に辿り着くだろう。何かを最高の価値においてしまった人間はその価値とともに死ぬしかない。平凡な人生のために死のうと思えばその価値観と共に、知らない何かを知りたいと思えばまたその価値観と共に死なねばならない。
 今、私はまた価値観を新たにした。門の先を知りたいのではない。その門の先にある、あるものを手にしたいと願っているのである。競争を避けるためにそれが何であるのかは記述しない。他の誰かにとってそれほどの価値はないのかもしれない。しかし今の私には門の先にあるそれがこの世界で一等魅力的に見えるのである。

 壁の中の世界は私に言わせればニヒリズムに支配された世界であった。あそこには何ら価値のあるものがない。ただ無限に迷宮が広がっているのみである。私がどうしてこちらに戻ってこられたのかを考えてみるに、今の私には確かに欲しいものがある。あの壁は欲望によって崩れるのである。それを喪失した状態では永久に壁の中の世界に人は閉ざされたままであろう。

 いわば、人という存在は他に望むものがないから感傷のみに浸っていることができる。純然たる自らの感情の動きのみに注視するより他になく、よってささやかな小鳥のつぶやきにさえも心の水面の揺れから価値を見出す。

 どうしてあの世界に囚われるような心象を抱いてしまったか、過去の己に問いただせば、何かを手にすると同時に無意識に永遠を信じた、それ故に手にした大切な何かを喪失した衝撃に耐えられなかったのである。蓄積された様々な喪失に耐え切れずに、私はただ己の心を見て何かを望まない存在になってしまっていた。それでも日々はめぐり、多くを知った結果として欲しいものができたというのだから人間は分からない。