・・・題名の通りです。
母、満76歳にしてリウマチ発症、確定しました。
昨年、6月、急に両膝が痛くなって歩けなくなり、それから1年3か月。
体重は11キロも減ってしまい、もともと小柄なのがさらに小さくなってしまって。
半寝たきりの生活。
事の始まりは左肩の腱板断裂。
痛みがあるので内視鏡手術で繋いだのですが、
両膝を痛めてしまい、身体のバランスが崩れて再断裂、
昨年9月に左肩を人工関節に、
今年3月と7月に両膝を人工関節に、合計3か所、人工関節に置き換えました。
さらに今月末、右肩も人工関節に置き換える手術をします。
その間、寝ていても肩が痛い、背中が痛い、手がしびれる、熱が出る、CPRが高い等々、
症状があったので「リウマチ」を疑って先生に訴えていたのですが、
血液検査の結果があと少しのところで「リウマチ」の診断要件を満たさず、
「高齢による関節の変形」、「脊椎館狭窄症ではないか?」との診断で、
身体の不具合が行き着くところまで行き着いて、
やっと「リウマチ」の診断がおりました。
母の血筋にはリウマチ患者は全くいません。
けれど、私が34歳で発症しています。(父の母親が、高齢になってからリウマチ発症しているので、自覚症状が出た時に疑いました)
母の症状を見て、早い時期から私は「リウマチ」を疑っていました。
母には先生に、「娘が寛解しないタチの悪いリウマチを若い頃から患っている」と必ず伝えるように、そして私も、手術に立ち会った時には、術後のお話しの時には伝えていましたが、
逆効果で、「バイアスがかかってる」と思われたのでしょうか。
あまり取り合ってもらえない印象がありましたし、人工関節に置き換える時に、
関節の内部の良くない部分を綺麗にされるそうなんですが、それが「リウマチ特有の状態ではない」と言われました。
・・・これがもし、がん・・・とかなら、家系を疑って、もっと取り合ってもらえたのでしょうか?
ネットで情報も集めていました。
けれど、母の世代で本人がSNSで「リウマチ」について発信している人はいません。
これが実に痛手で。
「生」の声がないのです。
線維筋痛症も候補に考えた事もありました。
他の膠原病ももちろん。
でも、どれも条件に合わないまま、1年3か月、激痛でみるみるやせ衰えていく母。
頭を抱える私。
私が先生に何かを言って、また、「リウマチのバイアスがかかっている」と思われるのも困るので、母には「リウマチの再検査」を先生に何度でも依頼をするように、それしかできませんでした。
・・・少し、先生をフォローするとしたら・・・。
私のリウマチの確定診断が出たのは、自覚症状を感じてから1年後の事でした。
「リウマチではないか?」という予感はしていたのですが、
「寝て、朝目覚めたら、症状がなくなっているのではないか?」と期待して、1年。
どうにもこうにも痛みで身体が動かなくなってから今度は、
「リウマチでもなんでもいいから、この痛いのをどうにかしてくれ!」とやっとこさ病院に行ったのです。
血液検査にはリウマチの特徴が顕著に出ていました。
もし、一年を待たずに、自覚症状を感じてすぐ検査を受けていたら?
・・・確定診断してもらえなかった可能性について、今更ですが、考えてしまいました。
「リウマチ」とは、自覚症状が行き着く所までいって始めて、
やっと血液検査の基準が達するのかもしれません(私見・・・ですが)。
もし、万一。
リウマチを疑って検査を受けて、リウマチが確定しなかったとしても。
期間を置いて、諦めずに、何度でも検査を受けて下さい。
家系、関係ありません。
年齢、関係ありません。
若かろうが、高齢であろうが、何歳でも、発症する時はします。
自覚症状が全てです。
今日は、昭和15年1月生まれの私の父の話をしたいと思います。
御年、満81歳。
60歳で定年退職を迎え、たまたま運良く、市関連のお仕事を72歳までパートみたいな形でお仕事をしていました。
それと並行して、今でも、家の近くの小学校で通学見守りのボランティアを続けていて、
社会との関わりは続けています。
絵の具で絵手紙を描いたりする趣味も持ち合わせています。
その父なんですが、こちらからの「指示」が伝わりにくくなってきました。
実は、かつてこんな出来事がありました。
母の手術の際に、病院の中のある場所で待ち合わせをしたはずなのに、
別の場所にいたのです。
自分の意志は伝える事ができます。
筋道立った考え方もできています。
自分の得意な事はできます。
けれど、自分以外の人の言葉が、あまり頭に入ってこないようですし、
全てにおいて「自分本位」になってきているのです。
これが「痴呆」のはじまりなのか?
と、疑ってみたくもなります。
父が指示と違う事をするたびに、不安がよぎる今日この頃です。
私と同年代の父親をお持ちの方、同じように思った事ありませんでしょうか?
私が父に望んでいる事は、そもそも年齢的に高望みな事なのでしょうか?
ちなみに、母は昭和20年4月生まれ。
父より5歳下の満76歳。
左肩、両膝、合計3か所、人工関節になってしまいましたが、
「かーさんは首から上は元気、元気!」と本人は言います。
私から見ても、頭脳の切れ味はまだまだ大丈夫です。
父が母の指示と違う事をするたびに、「言った」「聞いてない」のケンカになるので、ストレスが溜まるそうです。
(「言った」「聞いてない」のケンカは我が家でももちろんしますが・・・。)
・・・ここで少し話が変わりますが、今週、父から、自宅で使っているパソコンを調整して欲しいと、宅急便で送られてきました。
以前から、調子が良くない話は聞いていました。
今まではそのたびに、業者にリモートコントロールで相談に乗ってもらったり、出張で家に来てもらったりしていたようですが、スッキリと具合が良くならないので、シビレが切れたのでしょう。
評価してみて、もしHDDの具合が悪いのなら、私の方でやれば材料費で済むし、いっそSSDに交換してもいい。
あとは「設定」の具合を調整して、「リモートコントロール」を新たに設定して返却することにしました。
そして、作業を始めて、はじめから衝撃の連続><。
本当にお見せしたいぐらい。
なんでこうなる?
デフォルトの設定状態から、どこをどういじっしたら、こんな事になるのか!
直らないか試してみて、ダメで、今度は元に戻したくても、元を忘れてしまって元に戻せなかった?(一番アカンやつ)
Windows UpDateもされてなくて、どこかで止まったまま。
まずは少しずつひとつひとつの「設定」をデフォルトに戻しながら、アップデートをしていったところ、
「最新の状態ではありません」
「デバイスに重要なセキュリティ修正プログラムと品質修正プログラムがありません」
と見た事がない表示が出て来て大変焦りました。
そこでOSのバージョンを確認したところ、「1909」で、OSのサポート期限が切れていました。
このままインターネットにつなぎ続けると、「脆弱性」が心配です。
ファイアウォールは有効になっているのは確認できましたが、ウイルスの対策にはなりません。
サポート期限が切れてしまうと、アップデートは自動で入ってこないし、手動で行ってもできないので、
マイクロソフトのホームページから、「Windows更新アシスタント」をダウンロードして更新するしかありません。
そこに気づいてさらに作業なんて、今の父にはできません。
この父のパソコンは、Windows8から8.1,8.1から10にアップデートしてきたものです。
父がどうにかしてきたはずです。
今更ですが、いったいどうしてやってきたのか、疑問がわきます。
母は、「最近、お父さんは、今までできた事が、「できる日」と「できない日」があるねん」と言います。
今までできたことができなくなった・・・という事なのでしょうか?
父の車の免許は昨年の1月、80歳の誕生日を機会に返却させました。
車もすぐ廃車にしました。
パソコンも同じようにいずれは、「管理者から標準ユーザーに格下げする」、「取り上げる」
という事が必要になってくるのでしょうか・・・。(ネットショッピングはやり方を知らないので心配はありませんが・・・)
父のパソコンの調整を根気よく始めて、今日で五日目です。
HDDに関しては、HDDAnalyzerのソフトで調べたところ、ウエスタンデジタル製で全く異常はなく作動しておりました。
異常があるならば、今後の事を考えて、SSDに置き換えて、中身は全て同期して、使い心地はできるだけ変化させない状態に持っていこうと思っていたのですが、手間が省けました。
OSは21H1の最新版に、ひとつずつ細かい所まで「設定」を突き合わせをして、デフォの状態に戻し、不必要なものは省いて、
スペック相当にサクサク動くようになりました。
さらに、私がリモートコントロールできるように設定を入れました。
私がリモートで入るたびに、今の状態と設定が崩れていくようなら、また次を考えないといけないかな・・・と思っています。
今までできた事ができなくなっていく親を見るのは辛いですが、
「高齢の親に寄り添う」にはどうしたらいいのか。
私達世代の新しい課題なんですね・・・。
二回目の接種に油断は禁物ですね・・・。
一回目は家族全員、腕の痛みぐらいで済んでいたのですが・・・。
私自身(ファ〇〇ー)は2回とも許容範囲内で終了したのですが・・・
娘(モ〇〇〇)→38度台までの発熱
心拍数の増加(心臓がどうかなりそうと思うほどの自覚症状)
関節痛
倦怠感
腕の痛み
ぼん(モ〇〇〇)→37.4度の発熱
関節痛
倦怠感
腕の痛み
夫(ファ〇〇〇)→38度台の発熱
関節痛
倦怠感
腕の痛み
と、七転八倒の様相。
特に娘ちゃんは、接種翌日に研究交流会(全国学会区分)で発表を控えており、
連日の実験、解析、スライド作り、発表練習で、徹夜か睡眠時間2~3時間を2週間くらい続けていて、精神的にも、体力的に弱っていた時期だったので、副反応が大きく出たのではないかと思います。
ここ一か月ほど、友人の研究の人体実験の被験者になっていて、
ウェアラブル端末を24時間付けているので、血圧、心拍数、脂肪の燃焼量など、
数値的に自分の身体を客観的に観察できる環境にあったので、変化が詳しくわかったそうです。
そして発表当日(接種翌日)、スライドの修正で2~3時間しか寝てない状態で、
ロキソニンで熱を抑えながら発表して、ディスカッションして、
先生からの「スライドの出来はあまり良くなかったけれど、発表と議論はとても良かった」という旨のラインをもらって安心したのでしょう、午後からの研究交流会は離脱、崩れ落ちて死んだように眠っておりました。
・・・大変なのはうちの子だけじゃなくてね。
娘ちゃんの後輩の子ですが、発表の二日前に2回目の接種を迎えてしまい、
39度の熱が出てる中、泣きながら徹夜で、先生から「合格ラインじゃない!」と突き返された発表用のスライドの修正をしていた子もいるので、みんなみんな、大変な中、自分のベストを尽くして頑張っていたのです。
・・・娘ちゃん、本来は、二回目の予約は別の日だったのですが、
後からその日に、内定者懇親会が入ってしまい、泣く泣くキャンセル、
6週間以内に2回目を打たないといけない条件で、やっと予約が取れたのが研究交流会の前日でした。
日程的にどうしようもなかったんですね。
仮に内定者懇親会が入ってなくて、予定通り打ててたとしても、
熱が出た状態で追い詰められて、スライド作りや発表練習に泣いてたのかなと思うと、
いったいどちらが良かったのか・・・よくわかりません。
人それぞれ、どうしても外せない予定がある中で、油断は禁物で、
接種予定を立てていくのは、簡単な事ではないですね・・・。