昨年3月に国立能楽堂で初演された復曲能「鈴木三郎重家」(観世流能楽師の鈴木啓吾氏が中心となって復曲)が、先日、神楽坂の矢来能楽堂にて再演されました。この能は、平安時代末期、頼朝勢に追われた義経が平泉の高館(たかだち)に逃れ、そこに(田辺出身の)弁慶らとともに付き従った海南・藤白出身の鈴木三郎重家、亀井六郎重清兄弟の兄・重家の物語です。
 
重家は、藤白で病床にある母を見舞ったのち義経に合流しようと奥州に向かう途中で頼朝側の梶原景時に捕縛され、鎌倉の頼朝の前に引き出されますが、頼朝の前で(打ち首の覚悟をしながら)義経の潔白を切々と訴えます。その潔さと忠臣ぶりに感心した頼朝が重家を自分の弟子としたいと考え、その縄をほどいて重家は舞を舞いますが、上機嫌の頼朝が寝所に引き上げたのちにこっそり館を抜け出して義経がいる奥州を目指して旅立ちます。
 
主役の重家の実家(和歌山県海南市の藤白神社に隣接)は、今は日本全国に拡がっている鈴木姓のルーツと言われており、その話を知った鈴木啓吾氏が、江戸時代初めから上演されていなかった能(当時は「語鈴木(かたりすずき)」という名称だった)を何とか再上演したいと考えて、300年ぶりにこの能が復曲されたとのことです(会長ブログ「藤白神社 ~全国 鈴木姓発祥の地~」)。先日の矢来能楽堂での再演の際には、冒頭で、この能の復曲の監修をされた国文学研究資料館名誉教授の小林健二氏の解説があり、この能の時代背景や内容の理解の助けとなりました。
 
 
また、現在、海南市と藤白神社は、全国鈴木姓のルーツとなった鈴木屋敷の復元(令和4年春完成を目途)に向けて国や県にも働きかけるとともに、一般からの募金活動なども積極的に推進していますが、現状ではまだまだ資金難で、さらなる努力が必要とのことでした。
 
田辺がルーツの私は、昨年春にこの復曲能を観るまでは、鈴木三郎重家のことを全く知りませんでしたが、海南出身の鈴木兄弟が弁慶とともに義経に付き従って、岩手県平泉での最期まで果敢に奮闘したという史実は和歌山県関係者としても大変重要と考え、もっと多くの人にこのことを知って頂きたいと強く願っています。
 
そういうこともあって、私は、いずれ田辺でもこの「鈴木三郎重家」の能が上演される機会があることを期待し、関係者の皆様のご理解、ご協力が得られるようできるだけの努力をしたいと考えております。ご興味をお持ちの皆様、ご関係の皆様、何卒よろしく御願いいたします。