最近はずっと鬱々としている。
お付き合いしている彼にも、自信を喪失させ、
傷つけてしまっている。


延々と、ここ2年間程ずっと
「己が変わるべき時なのだ。」と分かっては
いるものの、手段が分からず、突破口も
見つからず、ただ鬱々とし、ラムネの様に
薬を飲み続け、ベッドで食事やドラマを観ていた。


だが、やはり彼を傷つけてしまっていること。
そもそも、私が彼の幸せを邪魔しているのでは?
そんなことも思っている。

だけど、彼を失ってもいい。もうどうでもいい。
ヤケになっていた。つい数時間前まで。





彼と色々な心の内を話す中で、
ふと思い出した本があった。
アドラー心理学に関係する物だ。

「もしかしたら何か見つかるかもしれない。」
そう思い、彼に本を買って欲しいとお願いした。
次の返信で、明日には届くときた。

こんなにすぐにお金を出してくれる人、
居ないよな…。ゲンキンな言い方だが、
本当にそう思った。




早速、本を読み進めていくと、
初っ端からヒントが見つかった。

「人は、自ら不幸である選択をしている。」と
いうところである。

このワードはずっと知ってはいたものの、
本当の意味がやっと理解出来た。

アドラー曰く、人間は10歳くらいで
「自分がこの自分であること。」を選択するという。

なるほど。思い当たる節があった。





私は10歳の頃、初めての男性の担任に当たり、
給食を絶対に残してはいけないという
プレッシャーに追い詰められ、拒食症と
パニック発作、嘔吐恐怖症を発症し、1年間
不登校になっていた。
またその頃、初めて本格的に心療内科に
通院し始めた。

文字通り、骨と皮だけになり、歩くことも
しんどかった。
布団に横になっている時、母がくれた一粒の
アーモンドを、30分かけて食べきった感動は、
未だに忘れられない。

母は、私を体重計に乗せる度、
「このままだと死んでしまう。」と泣いていた。
しかし、当時から悲観的だった私は、
親の心子知らず。
「やっと死ねる。やっとこの世界から
おさらば出来る!らりほー!」と、
何とも、病んでるのか呑気なのか、
まさにクレイジーな状態だった。

その時の生活は、昼夜逆転。
皆が学校に行っている時、私は寝ていて
皆が寝ている時、私はカートゥーンネットワークを
延々と観続けていた。
まさにパラダイスだった。

食べられない、飲めない苦しみはあったものの、
私が何より心地よかったのは、
「家族みんなが私を見てくれている。心から
心配してくれている。」という、安心感だった。
究極の承認欲求が、初めて満たされた瞬間、
といってもいいだろう。

幼稚園児の頃は、中々見てもらえなかった。
チック症を発症したり、皮膚むしり症、爪を噛むなどあったものの、なかなかサインは届かなかった。

やっと、皆が私を見てくれたのだ。

そして、恐ろしい学校に皆が行っている間、
私は守られた布団の中で休み、
皆が明日に備え寝ている間、自分の悲しみや
不安を癒す為のアニメを観続けていた。

弱っているのだから、と、親も
黙認する。

心地よくてたまらなかったのだ。




だが、やはりツケはまわってくる。

先程書いたアドラーの「10歳で〜」問題。
私は、常に誰かに「見てもらい、心配してもらえる
私で在りたい。」と願ってしまい、その結果、
いつも不幸な自分で在ることを選択していたのだ。


もちろん、今の自分が嫌で仕方がなく、
自分のお給料で買いたい物も買えず、
貯金も出来ない。好きな人も傷つける自分。
何より、いつまで続くのだ、と絶望を
感じているからこそ、変化を望み、
今回この書籍の購入に至ったわけだが。


だがどこかで、
「変わりたくない。今のままがいい。」と、
望んでいるのも事実だ。

元気になった自分に、何の価値がある?
何かあった時、誰が心配してくれる?
誰が褒めてくれる?
誰が私の話を聞いてくれる?

健康体で生きるということは、
私にとって未知の世界であり、
恐怖の対象なのだ。

何とも皮肉であり、どこからか
「何とわがままで、甘えた大人だ。」という
お言葉も聞こえてきそうだ。

私は恵まれている。実際、そうなのだ。
はっきり言って、心が乏しいのだろう。


未だ過去に囚われている証拠でもある。
唯一、家族に見守られていると、しっかり
感じていた、あの時の幸せが忘れられず、
もう戻らない時間と幻想にしがみついているのだ。





こんな私だが、やはり求人情報サイトには
目を通してしまう。
働きたいと思う反面、見ていると段々
胃が締め付けられてくる。
ひどい時は動悸もしてくる。


アドラーの本を読み進めていくうち、
同じ現象が起こった。

「変わる勇気。幸せになる勇気。」が
必要と理解していく度、胃が締め付けられる。


新しい世界に飛び出す恐怖があるらしい。

今ほど心配してもらえなくなるかもしれない恐怖。
「元気だから大丈夫でしょ。」と、
見てもらえなくなるかもしれない恐怖。



あぁ、私はどれだけかまってちゃんなのだろうか。
「かまってちゃん」をこじらせた、厄介な
アラサー女になってしまった。

だが、やはりここからは、彼と話し合う
必要があるだろう。

そして、最後に選ぶのはやはり私自身。

恵まれていると自覚し、薬との決別。
人間としての機能のみで生活し、
私という人間を受け入れ、
生きる一歩を踏み出す勇気。

書いていても胃が締め付けられる。

この痛みは、履歴書を書き始めたくらいの感覚だ。


どうか恐れないでくれ、私。

縛られない未来。
Libertyを実行した未来。自分。

どうか、恐れず、一歩を踏み出してくれ。