さて、いよいよ生命の木についての解説にたどり着きました。
待ってくれ、以前読んだ本では、丸の部分がセフィラ(セフィロト)、線の部分がパスだと書いてあったのに、今読んでいる本には丸はスフィアー・線はパスとなっている…!
これはどうやら本来のヘブライ語を採用しているか英語を採用しているかの違いのようです。
ヘブライ語でいうと丸はセフィロト、線はネティボードだそう。
今読んでいる本が英語のスフィアーとパスを採用しているので、今後はそちらで統一していこうかな。でもどこかで唐突にセフィラーとかセフィロトって言われたときに「スフィアーのことね」という思考回路は忘れずに持っていないとです。
今回は第一のスフィアーであるケテル、第二のスフィアーであるコクマー、第三のスフィアーであるビナーについてです。
いわゆる上から学んでいく方法みたいですね。
本をそのまま引用してしまいたいのですが、著作権大丈夫かしら(引用の範疇を超えないかしら)という心配が勝つので、今の私が理解したなりの解説を書いていくことにします。このままだと本の本文丸写しを全部ブログに載せることになってしまうので…。
だから私の解釈が実際とはズレているところもあるかもしれません。有識者の方がもし見ていたらご指摘いただきたいところです。
ケテル=王冠
ひとことで言うと、絶対的な単一性。
この世は中国哲学に代表される陰陽とか男女とか二元性とか対立で成り立っていると考えられているけど、ケテルはその概念を超越している。いかなる属性も性質も持たない(属性や性質を持つと2になってしまうので)。
意識の状態として言えば、「すべてのものとひとつであるという気付き」。この意識は人間に到達可能な最高の状態。全ての神秘主義の実践の最高度の目的を表している(仏教でいうところの解脱みたいな意味だろうと思う)
コクマー=叡智
創造的エネルギーと拡張の源。男性的。
コクマーはタロットでいうところの魔術師に対応するスフィアーなので、創造的エネルギーとか拡張とか男性的というのはすんなり入ってくる。
アバ(=天井の父の意)という呼び名も持っている。
原初の単一性、元々の自己充足から運動と創造へ下降していく。そうすることで単一性から二元性へと変化し、創造者と創造物、作用者と作用を受けるものが現れる。
↑これが理解が難しい。ケテルが単一性なので、コクマーが創造性、ビナーが運動ととらえたらいいのかな。分からないのは多分、運動の概念が理解できていないからだと思う。
ということでここで一旦「運動」について
→〈実在〉は作動する。変化と運動の可能性を含んでいるが、運動がない可能性も含んでいるように思われる。そのため、それを休止するということもできる。しかしながら、運動の概念と休止の概念の両方は、同時に適用できない。〈実在〉の概念の中にそれらが両方含まれるということは、それらの交代を示唆する。それが時間という概念の本質である
うーん?わかるようなわからないような……変化と運動は多分厳密には違うんだと思うんだけど、とにかく物事が動くというイメージ、もっと言えば休止の状態の反対と考えたらいいのかな、多分。
ビナー=理解
受容的エネルギーと収縮の源。女性的。
拡大と縮小については最近別の場所で学んでああなるほどと思ったところでした。
拡大と縮小って言葉を表面的に捉えると拡大が良いこと、縮小が残念なことのように見えてしまうけど実はそうではなくて、拡大は文字通り拡大していくわけだけど、縮小は形作るということだと。形作る過程で削ぎ落とす部分があるので、即ち縮小。(濃縮的な意味合いももちろんあると思う)
ビナーが理解というところと繋げて考えると、男性的な拡大エネルギーで得たものを、受容して理解を通して分かりやすく成形するみたいな感じかな。
理解っていうのはつまり、得たものを自分の中に落とし込むこと。取り込んだものを自分にフィットする形に成形することなんだろう。
受容的エネルギーもなんていうかイメージがしにくい。受容の、エネルギー??
拡大とが前進とかにエネルギーが大事なのはわかるけど、受容って与えられる側、目の前に提示される側で、エネルギーというようりはどちらかというと脱力みたいなイメージのほうが強い。
と思って受容を辞書で引いてみたらなんてことはない、「受け入れて取り込むこと」だそう。なんだ、「縮小」まんまじゃないか。上記で言うところの、つまり成形に近い意味の縮小であれば、エネルギーは大事だ。
私は心理学部出身なので、どうも心理学的な受容をイメージしてました。
でも、心理学で言うところの受容に全く当てはまらない話ではないかぁ~とも思う。ありのままを受け入れるということには、ある程度の練度がいると思うので。
うむ。「受容のエネルギー」、なんとなく理解が追い付きました。
そう考えると難しいのは、コクマーが叡智ということ。
ケテルが王冠なのは最高到達点であるということ、ビナーが理解なのは成形することからイメージが繋がるけど、コクマーが叡智なのはあまりうまく繋がらない感じがする。
創造的エネルギーと叡智。
叡智って「人類の叡智」みたいな使い方のイメージが強くて、過去積み上げてきた諸々の優れた部分だけを抽出したみたいなイメージ。それが創造と繋がる……?
自分がいわゆる「創造」をするときのことを考えると、何かを見たり体験したりして、それに伴う情動がベースになっている感じがします。私は創造性が本当に無い人間なので、基本は何かに対するリアクションで「創造」します。リアクション型。
でも、それこそ創造を生業にするような人たちは人生を創造に懸けていて、ゼロから何かを生み出す人というイメージが強い。でも実はそうではないのか。創造はリアクションなんだろうか。
魔術師のイメージから連想すると、魔術師は4つのスートをテーブルの上に並べていますよね。魔術師的解釈で言うと、スタート「するところ」であり、今まさに創造性を発揮しようとしているところだと私は思っていますが、それに必要なのがスートなのであれば、それが叡智に当たるんだろうな、やっぱり。
やっぱり全くのゼロから創造するのってイメージの話であって、叡智から生まれるものなのかもしれない。芸術鑑賞でも作者の生い立ちを調べたりするもんな……
わかったような、わからないような……。コクマーに関しては、まだまだ成形が必要な感じがします。
これら3つのスフィアーは「天上の三つ組み」と呼ばれる。
→受動的な形態の単一性、創造的力の単一性、これら両者を超えた至上の単一性として表現する。
→こうした体験の諸段階に入っていくには、知覚者の意識を含めた全宇宙を分離のない連続した全体として知覚できなければならない。
またまた難しいことを……笑。
要は自分の「内」と「外」を分離してはいけないということらしい。ひとつは全体。全体はひとつ的な?仏教で言うところの「自他一如」というところでしょう。「我執」、つまり自分にこだわっているとこの領域には達せないということですね。
言葉として理解はできるけど、この領域に足を踏みいれたことは私はないと思う。私は太陽星座牡羊座、とにかく自分の意思が大切すぎるし、金の羊よろしくついていけない人は振り落としてしまうので……。
天上の三つ組みと他の人間との体感の間には、「深淵」が存在する。
「深淵」の中央部には疑似スフィアーの「ダース」がある。
ダース=知恵
「すでに見てきた基本範疇からダースは生じてこないし、それ自身の権利について存在の段階にない」←どういう意味ぃ!?
「むしろそれは「天上の三つ組み」の諸力と、「深淵」の下の七つのスフィアーの諸力との交点であり、同時に単一性の領域と個人の体験の領域の間の門でもあり障害でもある。」
基本範疇っていうのは、存在・運動・停止・拡張・制限・多数性・結合・分離・参加・権限のことですね。
この基本範疇からダースは生じないらしい。でも、「それ自身の権利についての存在の段階にない」←どういう意味ぃ!?(2回目)
知恵っていうのは、人間の思考からは生まれてこないってこと?知恵が人間の思考から生まれないのであれば、どこから生まれるんですか泣泣泣
と思って、ダースについて調べてみました。
ダースのいうところの知恵というのは私が想像した知恵とは違い、どうやら神の知恵を表すらしい。人間が学んで得られるものではない、神の知恵。
神の知恵はスフィアーとは異なる次元に存在しているので、点線で表されたり、疑似スフィアーと呼ばれるのでしょう。
このダースには知識という神の叡智が付与されていますが、ダースベイダーのダースはここからとったらしい(こう聞くと一気に身近に…笑)
アダムとイブが知恵の木の実を食べたことで楽園を追放されますが、このときダースから物質界が落下したと言われているそう。つまり、楽園を追放され物質界に落とされた我々人間が神の領域に近い天上の三つ組みの域に達するには、このダースを通る必要があるということ……らしい。多分。
で、このダース、冥王星と対応しているそう。
破壊と再生。死と復活。
なるほどそういうことをやらないと天上のに三つ組みには達せないんですね。
神の領域、つまり神秘なので深く語るということは人間には不可能ということのようですが、つまり冥王星的な意味合いを持つものだと理解しておけば、本質をとらえきれずとも大きく逸れてはいないのかなと思います。
本日は以上です!ありがとうございました!
