今日は先日届きましたこちらの本を読んでいきたいと思います。
あのー、かなり難解です。
見えない世界のことについて言葉で語っているので、当然といえば当然なんですが。
しかも読んでいて、うっすら理解できるかも、なんとなくイメージつくかも……と感じる私の理解もバッサリと「勘違いである」みたいに断罪されている気分になって、もはや笑ってしまいます笑。
なんていうか、外国語を勉強するときの「単語を書き取りしてスペルを覚えて意味を理解する」という作業と、「自分の感情や意思を外国語に変換して表現できる」というところには大きな差があるみたいな感覚に近いのかも。学生時代何年も英語に費やしてきたのに、日常会話すら覚束ないのが多数派なのは多分そういうことですよね。そこで英語話者の恋人ができたりすると、表現する機会と欲が激増して中高レベルの英語力で十分意思疎通ができる、みたいな。
単語の意味が分かるだけではなく、使い方を知って使う場面を体験して実際に何度も使ってみるという作業を繰り返すことで突発的に外国語が口に出るというか、真に使えるものになる。
今回のこの生命の木についても新しい言語を習っているような感覚で、本当に何もわからない未知の世界への入り口に今ようやく立ったところです。
単語の意味を覚えるところから、今概念のようなものを読んでいるけど、まじで全然わからない笑。
でも、多分わからなくて当然なんだろうなとも思います。私はまだその言語を使ったことがないどころか、使われているのもほとんど見たことがないので。
これは多分、もう少し全体像が見えてきた後に見返すと非常によくまとめられているんだろうなぁと思います。
なのでわからないことにくじけず、よくわからないものだということがわかったぞ、ということで前進していきたいと思います。(後に復習したい箇所として記録しておきます)
3つのヴェール(なんの説明もなかったのですが、ここでいうヴェールは前回学んだ「聖域のヴェール」みたいなものなんだろうと今のところ理解しています。一種の壁というか区切りというか。ひとまとまりを表すと同時に、ひとつ越えなければいけないもの)
①アイン=「ではない」「無」
もし究極の〈存在〉が、私たちが経験可能なものとは全く異なる何かであるなら、そもそもそれを人間にとっての「何か」と呼ぶことはできない。仮にそれについて語ろうとしても、それについて本当に語ることができることは何もない。ここでの象徴は単に「非在」である
アインの欺き=その象徴を文字通りに受け取り、究極の〈実在〉を単に存在しないと思い込んでしまうこと
②アイン・ソフ=「制限がないこと」「無限」
私たちの知ることができるすべては有限。どんなに数が大きかったとしても、無限にまでは無限に足りない。昔のカバリストたちはこの絶対的な差異において、私たちが経験する宇宙と究極の〈実在〉の間の違いを表すメタファーを理解していた。ここでの象徴は、星間空間のような「広大さ」である
アイン・ソフの欺き=〈究極のもの〉が私たちの知って知っている物事より単に大きいだけだと、その象徴の含意を考えてしまうこと
③アイン・ソフ・アウル=「無限光」
特定の神秘的な気付きの状態のエネルギーは物理的光の形で通常知覚される。光は〈実在〉を象徴するためにも使われてきた。当然ながらこの象徴は「光輝」である
アイン・ソフ・アウルの欺き=「光輝」をそれが表している不可知の〈存在〉そのものと思い込んでしまうこと
人間の思考の基本構造を形作る十の範疇
①存在②運動③停止④拡張⑤制限⑥多数性⑦統合⑧分離⑨参加⑩顕現
