こんな話は聞いた事があるでしょうか?
織田信長は本能寺の変に乗じて
福井県からバチカンに渡り、
法王を目指したが、
枢機卿まで上り詰めて亡くなった
もともと信長の家系は福井県の
劔神社の神主の家系であり
伊勢神宮の式年遷宮を復活させたのも
織田信長であり、
神仏を大事にしていたからこそ
当時武装集団と成り下がってしまった
延暦寺を焼き討ちしたのでしょう
延暦寺は当時、浅井家などの戦に肩入れしたり、
金貸しをして荒稼ぎをするような
仏教徒であったようです
何度も武装解除するようにと
書状を送っていたにもかかわらず
比叡山側はお金で解決しようとしていたようです
もちろん高貴な僧侶いたと思うので、
内部告発だったのかもしれませんね
4000人焼き討ちしたというが、
人骨すら出てこなかったようですし、
何度も警告していたため多くの人は
逃げてしまっていたという話もあるようなので
僧侶と戦っただけでは?とも思わせます
3度死んで生き返った木内鶴彦さんが
著書で書いています
著:木内鶴彦
(この話は臨死体験では無く、
リーディングのようです)
信長はローマに渡りカトリックの
枢機卿にまで上り詰めたようです
ジョルダーノ・ブルーノ(Giordano Bruno)
という名前で過ごしたようです
(いくつかの文字を抜くとOda Nobu となる)
そんな信長は一定の統一を果たし、
世界のトップを目指したのではないか?
天下布武
天下は日本では無く、
世界だったのでしょうか?
武とは「戈(ほこ)」と「止」からなる
武とは戦を止めるためということ
天下泰平の世を目指す決意表明
だからこそ日本を離れ世界を
目指したのかもしれない
越前二の宮 劔神社
〒916-0215 福井県丹生郡越前町織田金栄山
御祭神
素盞嗚大神(すさのをのおおかみ)
氣比大神 (けひのおおかみ)
忍熊王 (おしくまのみこ)