これまでの私 | 助産師ゆう Happy Family ~mamade あなたのままで大丈夫~

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3児の子育て奮闘中の助産師
八王子市/オンラインで
産前産後子育てサポートmamade
JABC認定 ベビーマッサージ講師
お産のふり返り
自分も他人も大切に いのちの話

子育てする方々の何か役にたてればと思っています。
私も一緒に成長していきたいです。

最初の記事にありますが、もう数年も前なので改めて書いてみますニコニコ

 

 

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<ブログのはじまり>

 

一番最初にブログをしようと思ったのは

 

長男出産後に、とてもつもない産後ブルーになり

母乳育児はうまくいかずチーン

 

得体のしれないテニスボール大のしこりが左にできて

 

なおさら悩みながら授乳生活だったので

 

助産師ですらこうだよ!って書きたかったからなんですねえーん

 

 

できるだけ、出かけないようにしていたから

 

外部とのつながりが欲しかったのかなぁ~

 

そして、超頻回授乳の長男に

 

 

私はただただ自信を失い、ひきこもった生活でした。

(今、思えこうだった・・って思えるし、非常に学びになりました)

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<私の原点>

かんごしさんになりたいです。

 

保育園のお誕生日会で私が発表して

 

それがアルバムにもあるんです。

 

これは、親の影響もあるので、きっと真似してる部分が大きいかな。

 

また雷に打たれたような経験

 

私の原点は、小学校5年生のときに読書感想文を書くために読んだ本

「1リットルの涙」

 

ドラマにもなりましたね。

 

この本を読んで、本で心揺さぶられることを経験。

 

強く強く、こういう方々にかかわる仕事をするんだ!!と思ったんです。

 

 

 

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<助産師までの道のり>

 

私は、ストレートで助産師になったわけではありません。

(ストレートで助産師になってる人も少ないかもね)

 

もともとは、社会福祉系のお仕事を目指して

 

福祉の勉強をしていました。

 

父、母、兄弟、それぞれ実業家。

 

自分の会社をもっている環境で

その中でも大きな社会福祉系の施設を経営していたことが

影響はしています。

勉強していく中で

 

病院との連携も大切な業界であることを知り

 

その勉強もしたい!と強く思うようになりました。

 

福祉系の大学を卒業後、看護大学へ入学

(看護大学のほうは奨学金をかりたので、現在も返済中)

 

 

福祉系の大学に在学中は

 

福祉の勉強をしながら、教育学部の単位も同時取得し

 

中学校・高校の教員免許も取得しましたニコニコ

 

福祉の勉強に加えて、教育実習を経験させてもらって

 

自分で授業を構成していく訓練や教材を研究していくことなどは

 

今でもとってもとっても役にたっています。

 

この大学時代、様々な企画をしたりイベントを作ったり

 

参加したり

 

勉強以外でも人間的にも大きく成長できたように思います。

 

 

大学卒業後、看護大学へ入学

 

入学後の最初の1週間は勉強のつらさに泣いていた・・・

 

 

ただただ暗記の日々と、とにかく劣等感の塊な自分だったので

 

 

人の何倍も勉強しないと、私はついていけない!!って思い込み

 

自分を勝手に追い込ませて勉強勉強の日々でした。

 

4年間、休日は15時間以上勉強していた日々

 

私にとって大切な財産だったなぁと思いますニコニコ

 

大学では、看護師、助産師、保健師の国家資格を同時に3つ取得しました。

 

看護師の実習のときに感じた、家族との関わり。

 

患者さんだけでなく

 

家族ともしっかり関わりたいと思うようになり

 

それならば、助産師だな!!と思ったので

 

大学4年次、助産師取得のほうにも志願。

 

120人中たった6人しか、履修できないっていう狭き門でしたが

 

これまでの努力と思いで

 

圧迫みたいな面接を(笑)突破し

 

助産師も同時専攻できることになりました。

 

助産師に合格するためには、看護師の試験に合格しなければなりません。

 

なので、3年次の時点で看護師国家試験には合格するであることが前提での

試験だったと思います。

 

ガラガラとハンドキャリーをひっぱって歩くほどの

 

教科書の量だったけど

 

楽しかったです照れ照れ

 

人生で心身ともに擦り切れるほど一番勉強しました。

 

勉強のしすぎで、様々な病気になったんですが

 

それらが国家試験問題に出たときは、もう~~嬉しかったゲラゲラ

 

試験に合格するために病気になったとしか思えない!とガッツポーズ!

(私が受験した年は、さまざまな試験内容の変更があって

試験中に涙を流す方が続出の異様な試験でした・・・・)

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<助産師時代>

 

助産師かけだし新人時代も

すごく人に恵まれました。

 

仕事で困っても、同僚たちで勉強

 

勉強会があればひょいひょい参加顔

 

仕事で出会った大切な大切な人たちも

 

私にとってかけがえのない存在で

 

いつでも向上していこう!!って思える人たちです。

 

分娩介助は知識と経験とが必要で、どうしたって時間がかかります。

 

まず、産後のお母さんの担当からスタートした

 

新人時代。

 

初めて産後のお母さんを担当していく中で

 

母乳育児支援の喜びに目覚めていきました

 

とにかくわけがわからない中でも

 

「母乳育児の勉強を徹底的にやる」と決め

 

同僚とともに、日本全国、勉強会に参加しました。

 

 

サミティベート病院やバムルンラード病院にも認定さんがおりますね。

 

国際認定日本ラクテーションコンサルタント協会の勉強会など

 

結構な投資額(3桁は使ったなぁ)でしたが

 

すぐに現場に生かすことができて

 

勉強と実践を常に繰り返すことができる環境

成長させてもらえたと思います。

 

常に、事実→検証→計画 を考えて行動する思考は

新人時代に鍛えてもらえたなぁ

 

振り返ると、5歳のときには

「看護師さんになるのが夢」とこれはかなり親の影響で

漠然と思っていたものだから、わからないけど

 

子供のころからの夢

福祉と医療の懸け橋になりたい!!

 

10歳のときに思い

そこからず~~~っとそれに向けて生きてきたように思えます。

この思いが消えてないってことは

きっと、自分が本当にしたいことなんだろうなぁ。

 

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私は、自分にはなにもないよ。

 

そして、劣等感の塊で根は暗い。。。

 

 

私は、勉強ができるわけでもないし

 

外国語ができるわけでもないし

 

稼いでるわけでもない、なんにもないって思っていたけど

 

今のような福祉や医療の世界で生きていく!と決めてすでに

 

2○年?!って思い返したら

 

それだけでも、価値はあるじゃないかと思っています。

 

 

 

 

 

今は

 

産前・産後のママに会うことが生きがい

 

本当に大好きです。

 

心から、世のお母さん達に尊敬と愛情を感じます。

 

だからこそ

 

私は、ママとその家族支援がしたいと思っています。

 

まだまだ、はじまったばかりですが

 

どうぞ、みなさん

 

よろしくお願いいたします。

 

 

助産師ゆう