神梛由佳(かなぎゆか)です
19日は高野山
昨日20日は熊野奥宮へ
高野山に行くのも
熊野奥宮へ行くのも
以前と比べて、
本当に車は走りやすくなりました
ここまで交通網の改善を
目の当たりにすると
神様に呼ばれないとたどり着けない
「聖地」と謳われたのは
今は昔のような気がするのは
私だけでしょうか?
高野山でも熊野奥宮でも
かんじたことは
「いきること」はかけ算であり
「今さら聞けない」心構えや礼儀から
かけ離れるものではないということ
いくら
素晴らしい聖地と呼ばれる場所でも
「おみくじ」の結果をキャッキャ
いいながら
神様に向き合う人たちの横で騒ぐのは
当のご本人たちは楽しいことでしょう
いつからか
パワースポットブームで
老若男女問わず神社仏閣へと赴くようになりました。
今もなぜ神社の鳥居前に「下馬」の札を残しているのか
カーナビがなぜ神様に眷属に
嫌われるのか
パワーをもらうとかもらわないとか
それ以前に
向き合うことは多々あるのではないのか?
そんな想いを個人的にいただいた
2日連続の神和ぎセッションでした
写真は以前撮影した根本大塔