「春分の日」に大きく変わる。
新しい扉が開く。
きっと何年も前からも同じことを言っていると思う。
春分の日の南中の「再生ワーク」
秋分の日の南中の「手放しワーク」
に関していうなら
残念ながら、何年も参加できてない。
なぜなら、その日は彼岸法要に参加しているので、法話など聞いているのです。
ワークに参加する余裕はないのでは?と(^^;💦
しかしながら
大きく変わる。
新しい扉が開く。
にだけ特化していうなら
それは「ある」のです。
具体的になにが「変わり」「新しい扉が開く」のか。
それはその人なりの「魂の本質と成長」によるのだろうと個人的には分析している。
私はきっと7、8年前からさほど変わった発言はしていない
なぜなら、本質は至って単純で
そして1つでありながら多角的、多次元的なことだから
単純で多角的で多次元的なことは
そのまま今もそう話すしかないのだろう。
そして変わったのは
7、8年前より聞き入れる人の意識が大きく変わり、新しい扉が開いたのではないかと考えている。
そして私自身も
深いところの意識が納得するまで
単純を探究していると考えている。
2017年の春分
もうひとつ深いところまで探究して
扉を開こう。
「痛み」が昇華されるとき
人間は抗うことすら本来ならできないものなのだということを、体験してしまった今となっては
新しい扉が開くことも
大きく変わることも
なにも怖くない
本質に委ねる覚悟はできてるのだから