こんにちは。
奈良県は神話の里より
日本神話・神社心象研究を日々楽しみながらカウンセリングする由佳です(*^-^*)
今日もブログを読んでいただきありがとうございます。
2015年の開運スタートはここから。「大和国一之宮大神神社にちょっと遅い初詣」募集中です。
この12月の寒さ、とても厳しいですねぇ。
奈良は神話の里も4日くらいから薄っすら雪化粧。
とても寒い。冷え込み厳しい!
さて、今日はふたご座満月ですね。
実はこの12月。またまた暦的にも天体的にもやっぱり「大宴会」のような感じです。
今日の満月はどうやら「人生のターニングポイント」とも思えるような情報などがあるかもしれませんのでしっかりGETしてください。
そして要らなくなったもののデトックスもかなりスピーディーなので、バリバリ手放してくださいね。
この満月の後に控えているのが
12月22日の冬至です。
今年の冬至は正直「ヤバい」です(笑)
なんといっても19年に一度の「朔旦冬至」
朔旦冬至とは
古代には、冬至を1年の始まりとしていた。近世語で「唐の正月」というと冬至を意味するが、中国で冬至を元旦としたからである。その名残で、現在でも冬至は暦の基準となっている。中国や日本で採用されていた太陰太陽暦 では、冬至を含む月を11月 と定義しているが、19年に1度、冬至の日が11月1日 となることがあり、これを朔旦冬至(さくたんとうじ)という[8] 。太陰太陽暦では、19年間に7回の閏月 を入れる(19年7閏)周期を「章 」と称し、古い章から新しい章への切り替えとなる年を新しい章の最初の年という意味で「章首」と呼んだ。章首の年にはまず前の章の締めくくりに当たる7番目の閏月 を迎え、その後に到来するその年の冬至をもって新しい章の開始とされた。そして、その章首における冬至の日は必ず朔旦冬至となるように暦法 が作られるのが原則とされていた。
朔旦冬至が正確に19年周期で訪れることは、19年7閏原則に基づく暦 が正確に運用されているということである。暦の正確さは、政治が正しく行われていることの証(あかし)であるとして、朔旦冬至は盛大に祝われた。中国では古くから行われ、659年 に偶々遣唐使 が唐 の都・洛陽 に滞在中で儀式への参加が許されている。日本では唐風儀式の取り入れに積極的であった桓武天皇 の784年 に初めて儀式が行われた。なお、11月1日は元々翌年の暦を天皇に奏進する御暦奏 も行われていたことから、非常に盛大な行事となった。
ただし、破章法 を採用している暦では19年7閏が守られない場合があり、その場合新しい章の最初に朔旦冬至が到来するとは限らず、逆に章の途中で偶々朔旦冬至が到来してしまう事態(臨時朔旦冬至)も生じた。日本ではこのような状況を放置することは不祥として、暦を人為的に操作して朔旦冬至を到来させたり、回避させたりすること(「改暦 」)が行われた。なお、後には章の最初以外の朔旦冬至も祝われるようになった。なお、1768年 の光格天皇 の時に朔旦冬至の儀式が行われたのが最後であり、次の1870年 の朔旦冬至の際に明治政府 は古い因習として、以後こうした儀式は行わないこととした。
Wikipediaより抜粋
朔は「月(新月)」を意味し「旦」は太陽のことを意味します。
まさにこの日は新月も重なりますね(*^-^*)
19年のサイクルが終わり新しい年のサイクルの始まり。
ここのところずっといただいている御言葉の「死と再生」それをこの日に身をもって体験できる貴重な日です。
この日は心静かに瞑想などをして新しい「19年」をより素晴らしいものにするために静かな時間をとってくださいね。
この日をスペシャルな1日にしたいとお考えの方、あなたの道を開いて下さる神様の元へご案内いたします。
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