”本意“という問題は、私にとっては、単に言葉を取り扱う技術の問題ではなく、私の内面に深くかかわっているということに気がついた。文化というものが、既成の秩序とこれに対する抵抗という形でつくられていくものだとしたら、私はやはり、既成の秩序の側に在る人間であるということに気がついた。決して私が望んだりしたのではなく、選んだりしたのではなく、そうなのであった。既成の秩序は、言葉における本意と置き換えられるだろう。私の生まれ育った環境は、しぜんに私を本意の側に固定していた。本意の側、即ち滅びる側である。言葉と物が、私のなかではっきりしたかたちをとるまでは、私はむしろ、本意を攻撃する側にいるつもりであった。京都という都会に生まれ育った私のまわりは、本意のうっとうしさに満ち満ちていたから、これに抵抗していると思っている間は爽やかに仕合せであった。本意の側に在るという自覚は苦い。しかし、こういうことは、嫌だからといって向こう側へ鞍替え出来るものではない。出来ることは、自分の運命の側に在って、滅亡をどれだけ引き延ばせるかということである。運命自体を、どれだけだましだまししていけるかということである。運命を自覚し、腰を決めて居直れば、これは賭けてみるだけのことのある、なかなか面白い仕事である。

 俳句形式は、その歴史を遡ってみるまでもなく、本意に対する批判を、他の形式より強く、基本の精神として持っているはずである。そして、精神では抵抗しながら、この極端な短さで本意を無視して何が出来るかという矛盾に、たえずひきさかれているのが俳句形式であろう。俳句形式自身がどんなに嫌がろうと、本意は最初から俳句形式に組み込まれているのだから、俳句形式のかかえている矛盾は、どうしたって解決しない性質のものであるし、時には、この矛盾は俳句形式の原エネルギーなのかもしれないと思うことがある。この矛盾自体が俳句形式かもしれないと思うことすらある。私は、言葉と、閉ざされた私との間をつなぐ手だてとして、俳句形式は私の体質に合ったものであったと先に書いたが、最初のうちは、五・七・五という形の定まっていることや、短さや、季語など、はっきり表に見える規則が、誘い水として使いやすかったのである。だが、言葉の問題で一つ場面が転換してからは、俳句形式のかかえている問題と私の切実にかかえている命題とは、どこか重なるのではないかと思うようになった。重なった方が仕事がしやすいのか、しにくいのか、この形式を表現方法とすることにおいて私の事情が利があるのか無いのか、そこのところはよくわからないが、私にとって俳句形式は、私の外のその辺の棚にちょっと乗っかっているものではなくなってきたのは事実である。俳句形式は、私の内面とその模様がどこか似ていると思わされてしまったのである。

 

《つづく》