先のブログ句会、申し遅れましたが兼題「月」は、このブログでもコメントの応酬をした悠氏の提案でした。
さて、自分の句について「自句自戒」を致します。
待宵や仏に供ふ海老せんべい 3点
秋の夜の眼裏(まなうら)に描く見えないもの 1点
人も地も血に飢え渇き曼珠沙華 0点
今回は「月」がテーマだったので、1句は「月」でと考えました。
「月」を使って「(や)切れ+名詞止め」が一番定番的な句ができると考え、過去の「記憶の引き出し」を探していたら、祖母が亡祖父の好きだった「海老せんべい」をよく仏壇に供えていたのを思い出し、そこからの製作になったのですが、自分の俳句は次の世界、物語への扉ということから、次に続くストーリーを描けなければ…と考え、季語に「待宵=十四夜」を置くことで、奇特な寡婦像を描こうということにしました。
毎日、仏壇に何かしら必ず供えるとしたら…十四夜に亡夫の好物を供え、『お父さん、明日は中秋の名月ですよ。明日は上新粉を買ってきてお団子でも作りますね。今日は、お父さんの好きなこれで…』といった物語まで描ければと思ったわけです。
2句目、ちょっと気負い過ぎたように思います。
この思考に至る前に、五次元とか現実には見えない世界を考えていたので、その辺りを攻めてみようと挑戦したわけです。で、元句は…
秋の夜や眼裏(まなうら)に描く見えぬもの
としたのですが、「(や)切れ」を使うと文法上、文語にしなければなりません。それで「見えぬもの」としたのですが、これだとただの禅問答のようになってしまいます。
それで、
見えないもの=大切なもの
見えないもの=永遠なもの
というサン=テグジュペリの「星の王子様」に出てくる言葉に辿り着きました。
秋の夜、目蓋を閉じてそこに何かしらを感じよう…という世界観を描こうとしたわけです。
ただ、点があまり入らない、第三者からの評価を考えますと、まだ言葉がこねられてなかったようです。「秋の夜」という漠然と大きい季語を据えるより、「銀漢=天の川」のような、「見えるもの」を置いた方が更に「見えないもの」の世界観が広がるように感じました。
芭蕉も『奥の細道』などで句座を囲んだときと、その後の定本とでは、句の表現が少し変るというのは多々あります。このように俳句は句会から再スタートして更なる言葉の推敲を行うことができるので、皆さんもそのようにこの句会を有意義に使って頂けたら嬉しく思います。
3句目は、最近のニュース天候不順~災害を考えたとき、この句に至りました。
曼珠沙華が美しいのは、その赤が映えるのは…その下に人命という犠牲がある…梶井基次郎の『桜の木の下には』と同じ要領です。
とにかく、皆さんの句を受け付けてから自分が作句すると当然ながら何かしらのインスパイアを受けるだろうと考えたので、先に作ったものをそのまま提出させて頂きました。全部「(や)切れ+名詞止め」になったら句が揃ったときにバラエティ感に欠けるかもと…余計な心配をしましたが、無用でしたね(笑)
こんな「自句自戒」を書くのも、今後の皆さんの作句に何かしらヒントが出せたらと思ってのことです。どうぞご一考ください。