最近よく昔のことを思い出す。齢をとったせいか…ボケが始まった兆候なのか…最近のことは忘れがちなのだが、そのくせ昔のことはフラッシュバックのように思い出が甦るのだ。

さて、年の瀬の話であるが、それは確か小学5年の年末であった。昔から勤労少年だった私は、叔父の営んでいた餅屋のお手伝いに泊まり込みで出掛けていた。例年、クリスマスが終わると鏡餅、そしてのし餅の製造がピークを迎える。お手伝い、といっても…これをするかしないかでお年玉の額が左右する。子供にとっては死活問題である。張り切り方も違ってくるというものだ。


27日の夜、叔父の工場に着くと、さっそく大人に混じって作業にかかる。当時の餅屋というのは、昼のうちに水に冷やしたもち米を夜から蒸かし始め、未明の頃から餅つきが始まったものだった。餅つきの機械の、トーン、トーン…という音が鳴り出すと、妙な胸の高鳴りを覚えたものだ。作業といってもやはり子供の出来る程度のものだ。大人たちが伸したり丸めたりした餅を袋に詰めて封をし、それを板重やコンテナにしまっていく程度のことだ。これを明け方から出荷が終わる午前10時まで続ける。ここで大人たちは眠りに就くのだが、気分がハイになっていたのか寝る時間がもったいなかったのか、昼間の時間は従兄弟たちと遊んで過ごした。こうして、27日の夜の仕事から始まって、昼間は遊び夜から朝にかけて仕事という日々がスタートしたのだが、子供の自分は、31日の朝までのこの4日間という時間をたかをくくって考えていた。そしてとうとう11歳の少年が84時間不眠不休という、どうでもいい怪挙を成し遂げたのであった。


31日の早朝には、もう自分が起きているのか寝ているのか、生きているのか死んでいるのか…そんな感覚がほとんどないほどになっていた。ホッチキスで自分の指を綴じても痛みなど感じなかった。そんな中、最後に従兄弟と力くらべをした。2升ののし餅が5枚入った板重を何枚持ち上げられるか?そんな力くらべをした。渾身の力を入れて5箱を持ち上げた。90kgは優にある。自分の体重の3倍ほどの餅を持ち上げた。「勝った」と思った。が、そのとき一気に意識が遠のいていくのを同時に感じた少年は、「商売品をダメにしてはいけない」という最後の良心で板重を下ろすと、そのまま倒れ込み意識を失なった。


叔母の「悠ちゃん、どうしたの!? どうしたの!?」という驚いた声が聞こえたような気がしていたが定かではない。


気がつくと、いつの間にか家の炬燵で寝ていた。親が連れ帰って寝かせたのだろう。紅白歌合戦が始まる頃、起きて少しテレビを観たり、うつらうつらしたり、とにかく放心状態というか、呆けた状態で過ごしていたのを覚えている。年越し蕎麦をすすりながら味が全くしないと思った。眠らないということが、こんなに狂わせるものだというのを実感したのだった。



あれから数十年が過ぎ、今年も大晦日を迎え年越し蕎麦をすする。

悠人亭の年越し蕎麦は、餅入りの力蕎麦だ。


悠人・しのぶの俳句日記-年越蕎麦

今年はちゃんと蕎麦も餅も山菜も…味がした。


激動の一年ではあった。不安な材料は山ほどある。それはきっと世界中どこもそうなんだろう。細く長く…そんな暮らしでいいから、守れたらいいと思う。


どうか皆が希望を持って新しい年を迎えられるように。



読者の皆様には今年一年お世話になりました。

皆様の応援に感謝と、そして皆様がよい年を迎えられますようお祈り申し上げます。




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