その時間、私は車の中にいた。茨城県笠間市から埼玉県川越市までは、100km強の距離である。国道50号線は少し走るとすぐ冠水状態に出くわし、ずぶずぶと車を乗り入れるしかなかった。対向車とすれ違うたび、ばしゃんっと大量の跳ね水を浴び視界が利かなくなる。途中、水をかぶって動けなくなったトラックが数台、ハザードランプをつけて停まっていた。夜の闇の中に雨に滲んだランプが流れていった。

このまま帰れるのだろうか?…不安が胸をよぎった。

こういう場合、よく舗装された幹線道路よりも、伏線の道の方が水はけはいいはずだ。そう思った私は、下館から結城方面に抜ける道に進路をとった。案の定、道は冠水していない。田畑に水は流れるため低地以外はそれほど被害はないようだ。小貝川、鬼怒川の橋を越えると雨も小康状態となり、少し安堵の思いがした。それでも時折差し掛かる水没した交差点は不気味だ。


曲がった先の水位は大丈夫か?…どこからどこまでが道なのかまるで見えないのだ。

ヘッドライトに照らされた街角は、水・水・水…。

冠水地帯を抜けると車のアクセルを踏み込み少々飛ばして走った。


…今のうちに急いで帰ろう。


古河を越え、栗橋まで来た途端にバケツをひっくり返したような大雨が降り出した。道路もみるみる冠水していく。じゃぶじゃぶと音を立ててゆっくり進むしかない。先の方で車の故障かひどい冠水か…渋滞している。また立ち往生となってしまった。少し先のコンビニに立ち寄り、コーラを飲んだ。


どうせまだ進まないだろう…。目を閉じると30分ほどうとうとした。

雨音はうるさいが、それよりも数十キロを走ってきた疲れの方が重かった。


車の窓をコンコンと叩く音で目が覚めた。

コンビニの店員が雨に濡れながら、ここも水が押し寄せてきているから早く帰った方がいいと言う。ずぶ濡れの店員に礼を言い、車を動かした。店の入口を見ると土嚢が積まれ水が入り込むのを防いでいる。


ちょっとヤバイかも…。


水の中に車を入れて進み直した。ずぶずぶばしゃばしゃ…。


いったい車というのは、どのくらいの水位まで耐えられるのだろう?

普通乗用車より車高があるはずのトラックが故障して停まってしまうのは、きっと車の底の隙間が多く、あちらこちら水が入ってしまうからなのだろう。そんなことを考えながら、ゆっくりと、しかし先を急いだ。神経を集中して、どこが窪地で水が溜まりやすいか…帰りのルートを思い巡らした。人工の便利さと、普段の便利さゆえの災害時の不便さ…人の英知には限界がある。そんなことを感じた。


大宮から川越へと入る橋を渡ると、後もう少しだ。この辺は田圃も多い地域だから水害も少ないだろう。家に着くとほっとしてソファでそのまま寝入ってしまった。普段は2時間強の道のりも、昨夜は5時間強もかかっての帰宅だった。



さて、今日は雨も上がり、もう車に乗る気もせず電車で出かけることにした。今日は品川から横浜の商談である。昨夜の疲れを引き摺りながら商談を終えると、東急東横線で帰路についた。ついうとうとしてしまった。気がつくと、自由が丘駅、しかし横浜・中華街方面行きの電車に乗っている。


…やってしまった。苦笑して電車を飛び降りると渋谷行きの電車に乗り直したのだった。



愛知を始め各地で水害に遭われている方々にお悔やみ申し上げます。

ランキング

こちらも応援クリックして頂けると大変励みになります。宜しくお願いします。