merit メリット と言っても、別に某社のシャンプー&リンスについてふれたいのではない。
「~の価値がある。~に値する」という意味について、ふと考えた。
今回のオリンピックで数々の感動のドラマをくれた選手たちの努力に感謝したい。
その中での注目は、やはりソフトボールの金メダルを獲得した選手たち。彼女らこそ「金」に値すると感じたのでその辺についてあれこれ思ったことを書いてみる。
準決勝からの3連戦で400球以上を投げた上野投手、重病を克服してきた西山選手…。そしてアマチュアという支援の面ではやはりプロと比べ不利な状況でも懸命に練習してきたすべての選手たち。彼女らの背負っているものなど(家族の支援、選抜に落選したその他の選手たちのこと、持病との闘いなど)をインタビューなどを通して垣間見るとき、感涙を抑えられなくなる。
one for all 一人はみんなのために
all for one みんなは一人のために
という言葉があるが、チーム・メイトのそれぞれが、個々の存在に感謝し、個々の支援をし、人のために頑張ろうというこの精神が「金」へと導いたのだろうと自分は思う。
ソフトボールは一つの例で、やはり女子レスリングや、その他の競技でも好成績を出した競技については同じことが言えるのではないかと思った。勿論、メダルに達しなかったそれぞれの選手の努力にも敬意を抱くのだが、その中で、少々不甲斐ないぞと思うのが、野球とサッカーのプロの選抜選手たち。
meritという言葉を考えた時に、プロの選手で選抜されたチームは、どこかしら選抜された時点で彼らが ―merit― 自分らが「それに値する」という、何かしらの慢心を感じた時に、no merit になってしまったのではないか?そんなことを思ってしまった。特に野球。「金メダルしかいらない」というのは、あまりの慢心だったのではないか?結果は、明白になった。
女子のことばかりふれたので、男子のこともひとつふれると、400mリレーの「銅」。
基本的に黄色人の体形は白人や黒人に比べてこういう競技に向いていないと思うし、個々の記録を取り上げても世界の列強に比べればやはり劣っているというのが記録にも見られる。それでも彼らのリレーションシップは、世界のどの国にも勝っていたのではないか。やはりそこには日本人の自己犠牲や利他的な精神があったからメダルに到達したのではないか。そのように感じた今回のオリンピックだった。
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