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http://ameblo.jp/yu-jin0803/day-20080809.html
薄暗い街頭に照らされた公園に足を踏み入れると蜩が鳴いていた。アブラゼミが2~3匹お粗末なようにジージーと鳴き、そして飛び去った。公園の入口を左に入ったところに美術館がある。高校時代、週に一度は来ていた場所だ。そんなに向学だったのではない。美術部の顧問教諭のコーヒーチケットが館内の喫茶室に入れてあり、教諭から、「たまにはそれでコーヒー飲んでいいぞ」と言われていたので、ちょくちょくご馳走になった。
―おい、悠人!オマエのためにコーヒーチケット入れてんじゃないんだぞ!
美術の鬼塚の呆れた調子のしゃがれ声が、耳の奥に聞こえた。更に奥に進むと、もう秋の虫たちが鳴き始めている。クツワムシにコオロギが鳴いていた。
石垣の向こうには城址がある。街灯と月に照らされて小さな城がひっそり建っていた。
…チャンバラごっこをして石垣をよじ登った。危なっかしいことほど好きだった少年時代…。
背後に豊川が流れ、城の脇の見晴所のベンチでよく昼寝をしたものだった。暑い日は、川に下りてボートに乗ったものだ。見下ろすと夜の川波が時折白く光った。貸ボート小屋の爺さんは、まだ生きているだろうか?…
懐かしさと一緒に20年もの月日の経過に哀しみが込み上げてきた。
昔は駅前まで路面電車で行き、帰り道、公園を通ったものだった。今宵はその逆、駅へと向かっている。
公会堂がライトアップされている。電車通りから一本中に入ると、老夫婦が散歩をしていた。
―こんな夜に、…ほら、鳥が飛んどるわ。
豊橋弁が懐かしく、声を掛けたくなった。
―いえ、あれはコウモリですよ。
ひょいと会釈して老夫婦を通り越した。夫婦もつられて会釈をくれた。…昔はもう少し活気があった街だった気がする。老いたのは人だけではない。人が老いれば、街も老いるのだ。楽器屋の店主が店を仕舞い始めている。
よくここにも立ち寄ってレコードや楽譜を買ったものだ。当時、この店も夏の夜の7時8時は、若者たちでまだあふれていたはずだ。街と人が郊外へ郊外へと出て行くにつれて、駅前の街が空洞化する。広小路商店街もしかり、もう何年もシャッターを下ろしたままの店が軒を連ねていた。学校帰りに友人と集まったジャズ喫茶もなくなっていた。地方都市の悲哀を感じつつホテルへと戻った。
TVを点けるとオリンピック放送をやっていた。若きアスリートたちの漲る力は輝いていて美しい。
生まれた街の夜景をホテルの窓から見下ろし、明日はもう帰るのだと思った。
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