動物や人間に寿命があるのと同じく、会社といった組織やひとつの体制などにも終焉というものがある。

老朽したり傷ついたりして…それでも立ち上がる力が残っているものは再生できるが…そんな余力の残されてないものは消滅せざるをえない。


逆境の大きな山を我武者羅に越えてみて、自分は果たして何のために生きてるんだろう?と自問したときに、自分は生きてるんじゃない…周囲の人たちによって生かされてるんだとつくづく思った。


今日、本屋で谷川俊太郎さんの詩集が目に留まった。

昔…若かりし日に読んだ詩がそこにあった。改めて読み返し…言葉が心に沁みてきた。


生きる


生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと


生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと


生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ怒れるということ自由ということ


生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎてゆくこと


生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということあなたの手のぬくみ
いのちということ


―谷川俊太郎


いのちということ…

この命は自分が何かによって勝ち得たのではない。与えられたものだ。そして、それは自分一人で支えているわけではない。周囲の人たちの「生きよ」という願いによって支えられている。

「生きていること」「生かされていること」…この感謝の思いが日々「生きる」目的になり、新たな活力を生み出す力となる…今日、新たな門出を前にそんなことを思ったので、忘れないように書き留めてみた。




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